「彼はとても興奮していた」と販売業者のジョン・メアーJohn Mairは後に回想した。「私の知っている、冷静で、横柄で、傲慢なブライアンでは突然なくなり、男子生徒のようになった。」もちろん、それは地域的な話で全国的ではないし、エプスタインは自分のアーティストを誇大に宣伝するためにレコードを何箱も買ったと言って責められたが、本当に売れていた。
その同じ夜、ロンドンの中央から南南西のサリー州ノースチーム にあるウッドストック・ホテルthe Woodstock Hotelにあるパブの奥の部屋で、ローリング・ストーンズThe Rolling Stonesは、観客二人を前にしてライブをとことんやり抜いた(入場料を払わなくて済むように、外で聞いている人がほかに4人いた)。
観客をひきつけ始めていたイーリングからストーンズが離れるのは初めてで、まだドラマーがいなかった。ディック・テイラーDick Taylorはストーンズのメンバーが嫌になり、芸術学校の試験に集中することに決めて、10月末までには円満にバンドから離脱した。

(しかし、バンド熱に取りつかれて、数か月後に別のグループを結成するが、それはストーンズそっくりのプリティ・シングスThe Pretty Thingsで、写真を見てわかるように、この名前は少なくとも少しばかり皮肉だった。)

数日後、ビートルズは自分たちを売り込みにロンドンに行ってマスコミ(北から来た田舎者集団が、自分たちのレコードが注目に値すると考えていることを面白がった)を訪問し、EMIのラジオ・ルクセンブルグ番組の一つ、ザ・フライデー・スペクタキュラーThe Friday Spectacularの録音準備をしていた。この幾分奇妙なイベントは、オックスフォード・ストリートのEMIハウス EMI Houseで観客を前にして行われ。

ラジオ番組ではあったが演奏者が曲に合わせて口パクをして、その後ファンに会ってレコードにサインした。それから、マスコミ回りをしたが締め出された。
ビートルズは、ロンドンだけで締め出されたのではなく、アメリカでは当時、EMIがキャピトルを所有し、A&Rの国際担当重役のデイブ・デクスター・ジュニアDave Dexter Jr.が、海外でプロデュースしたEMIのレコードはすべて第一先買権を持ち、ビートルズを拒絶してしまった。

デイブは新規性のないイギリスの芸能人がひどく嫌いなことで有名で、クリフ・リチャードCliff Richardが一緒であろうが無かろうがシャドウズThe Shadowsは全部だめで、


アダム・フェイスAdam Faith、ヘレン・シャピロHelen Shapiro、マット・モンローMatt Monroeなど、チャートでトップになっても、すべてのイギリス人アーティストを断った。



「ラブ・ミー・ドゥLove Me Do」は最後まで掛けることもできずに、デイブが拒絶した。
ともかく、キャピトルはビーチ・ボーイズThe Beach Boysをヒットさせるということだけで手いっぱいだった。

パーロフォンParlophoneは他に当たってみなければならず、このレコードをトランスグローバル・エンタープライズィズ・インクTransglobal Enterprises Inc.に送ったが、この会社はEMIがひそかに所有していて、キャピトルCapitolが断ったレコードの使用許可を与えていた。すぐにリバティ・レコードLiberty Recordsが興味を示し…その後興味を失った。

トランスグローバルはこの曲を棚上げにした。
