アラン・ウィリアムズは7月末に再び関与するようになって、ビートルズから104ポンドを取ろうと弁護士を雇ったので、ポールは弁護士事務所に行って、「僕はビートルズとして知られるジャズ・グループのメンバーです」で始まる書類を作り反論した。


ウィリアムズの訴えは法的にほとんど意味がなく、ウィリアムズはビートルズと契約を交わしておらず、ビートルズも彼と交わすつもりはなかっただろうから、数週間後に負けを認めた。しかし、この事件によって重要なことがはっきりした。それはニールが全国を駆け巡れるようにバンをビートルズに与えた今、マネージャーが必要になったのだ。ボブ・ウーラーBob Woolerもビル・ハリーBill Harryもレイ・マックフォールRay McFallもその他の者も、そのことを考えたが全員そうしなかった。



ビートルズは今や週25ポンド稼いでいて、他の同業者たちのほとんどよりはるかに多く、モナ・ベストは自分のできることをやっていたが、彼女もやりたがらなかった。

8月初め地元の女の子数人がビートルズ・ファン・クラブThe Beatles Fan Clubを設立し、月末にボブ・ウーラーBob Woolerは、ビートルズに関するマージー・ビート向けの率直な記事を書いた。

(ジョンの「怪しげな起源」には、燃えるパイに乗った男が空に現れてビートルズという名前を授けたような、おそらく不正確な詳細が含まれていた。)
物事はそのまま中断し、9月の終わりに、ジョンとポールは休暇に入ってパリに行くと発表した。彼らの意図は写真家のユルゲン・フォルマーJurgen Vollmerのもとを訪ね、地元の音楽シーンに触れることだったが、実際に起こった最も重要なことは、地元の人を見た後、フォルマーを説得して料理器具のボウルのようなヘアカットをしてもらったことで、若いフランスの男がしているような櫛でとかした髪型にした。

ビートルズのヘアカットが誕生した。
10月末、ストゥはビートルズに彼らのレコードを郵送した。いや、実際には、トニー・シェリダンTony Sheridanのレコード「マイ・ボニーMy Bonnie」、B面がトニー・シェリダン&ビート・ブラザースThe Beat Brothersの「ザ・セインツThe Saints」だった。

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それはビートルズが楽しみに待っていたものではなく、ただのレコードだったが、中身はビートルズだった。この後に続く話はすべてのビートルズ・ファンが知っているが、詳細はたいてい間違っている。10月28日、レイモンド・ジョーンズRaymond Jonesという子がネムズNemsに入り、地元バンドのビートルズがバック演奏しているレコードがあるかと、ブライアン・エプスタインBrian Epsteinに尋ねた。

7ダース仕入れた時のマージー・ビーツ誌がビートルズやその契約の記事を大きく取り上げていたのだから、たとえそれ以来数号の期間が経過したとしても、ブライアンがビートルズのことを一度も聞いたことがないという話は間違っているようだ。それにしても、エプスタインはレコードを見つけるのに苦労したので、ビル・ハリーBill Harryに電話をして、11月9日にキャバーンのランチタイム・ショーに行けるように手配してもらった。そこはエプスタインが普段行くような場所ではなく、ショーの後、テイラーに行く予定だったので目立つ高級服を着たが、演奏にとても感動した。このバンドは素晴らしいと思えたし、演出技法には改善の余地があるものの、否定できないエネルギーを持っていると考えた。後に語ったエプスタインの第一印象は、「エルビスよりビッグになると思った。世界最高になると思った」だった。エプスタインはひどく感動したので、自分がなぜそこにいるかほとんど忘れショーの後、特別注文を受けている3枚のレコードについて楽屋でジョージに尋ね、ジョージはボブ・ウーラーにレコードをかけるよう頼んだ。エプスタインは詳細を書き留め、退席を詫びて仮縫いに出かけた。
