ハンクHank Marvinの名演奏は際立ち、アメリカのカントリー・スタイルのレコードを真剣に研究して、だれが演奏しているかわかっていた。

その人たちの演奏方法が分かるようになるまで繰り返しレコードをかけたものだった。ハンクとブライアンBrian Rankinはデュオのアレンジにも取り組んだので、一方が他方のバックをやり、その逆もした。スキッフルの演奏者は単にコードをたたきつける傾向があった。必然的にハンクは2I’sから離れてもっと古手のグループ、この場合はモダンなサウンドを目指していたバイパースThe Vipersから誘われ、1週間バーミンガムでの演奏に同行し、「ジョニーBグッド Johnny B. Goode」のような曲で標準的スキッフルの曲を増やそうとしたが、聴衆は全く関心を示さなかった。



週末には、マービンが辞めて2I’sでブルースBruceと再び共演したが、残りのバイパース・メンバーはロンドンにこそこそと戻り解散した。
その後、1958年3月、バディ・ホリー&クリケッツBuddy Holly and The Cricketsは21日間のツアーにやってきた。これは本物で、間近で見られる。大音量だ。陽気だ。

彼らはロックをやった。今まで誰もフェンダー・ストラトキャスターFender Stratocasterのギターを見たことはなかった。

だからアメリカのレコードはあんな音が出るんだし、イギリスもバディみたいなスターを作れればいいなと願った。でも、たぶんアメリカ人にならなければいけないし、どうしようもないことだ。ところが突然、バーン!とアメリカ人ロックンローラーが黒いレザーを着て2I’sに現れた。ビンス・テイラーVince Taylorと名乗り、それ以外のことは自分で作ったミステリーに覆われていた。

出身地のカリフォルニアではスターであり、ハリウッド・ハイ・スクールHollywood High Schoolに通い、パイロット・ライセンスを持っていると言われていた。

ハリウッド・ハイ・スクールの部分は本当だが、イギリスのミドルセックス州にモーリス・ブライアン・ホールデンMaurice Brian Holdenとして生まれ、とても幼い時に家族と一緒にアメリカに引っ越した。やがて一家はカリフォルニアに移り住み、長姉はハンナ・バーベラ・アニメーション・スタディオHanna-Barbera Animation Studioのジョー・バーベラJoe Barberaと結婚し、ホールデンはビーチのクラブで演奏を始めた。

彼はどういうわけかトミー・スティールのレコードを聞き、これがイギリスでロックンロールとして通用するなら自分でやろうと考えた。

そこで、彼、姉、ボブ・フライバーグBob Friebergという友人のギタリスト、そしてマネージャーのジョー・シンガーJoe Singerが1958年の夏にロンドンにやってきて、ブライアンはビンス・テイラーVince Taylorとなった。ビンスは2I’sにいるタレントから成るバンドを作り、いったん演奏を始めると、だれもが従った。ビンスはルックスが良く、演奏がうまく、曲をカバーするセンスもあったからだ。おっと、ただし、ビンスは歌えなかった。それでも、イギリスに来ただけで帰ってしまったジェリー・リー・ルイスのような、性的変質者のようには見えなかった。

