マリブ・ビーチは、素晴らしい波があり、裕福なLAのティーンエイジャーにとって簡単に行ける場所なので、年配のサーファー、ティーンエイジャー、そのガールフレンド、やじ馬が入り混じった、活気のある社会現象が繰り広げられた。

この世界に勢いよく飛び込んできたのが、身長5フィートのキャシー・コナーCathy Kohnerで、15歳になる映画作家の娘で、サーフィンの仕方を覚えたかった。

あだ名はその身長から、女の子girlと小人midgetの合成語、ギジェットGidgetだった。

男連中はコナーをからかったが、コナーは真剣で近くにある自宅から食べ物をこっそり持ち出して連中に食べさせ、後でわかったことだが、彼女にはサーフィンの才能が有ったのだ。コナーは一部始終を日記に付けて、1957年に父親が彼女の助けを借りて、それをペーパーバックの小説にした。
題名はもちろん、ギジェット。50万部売れた。1959年、サーフィンのシーンにはコナーの友達を使って映画が制作され、魅力的な若者達(そうでないティーンエイジャーもいた)がすでに作り上げたサブカルチャーが、全国のティーンエイジャーに突然差し出された。
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独自のファッション(ペンドルトンPendleton製のチェックのフランネル・シャツが流行で、男の子の水泳パンツは『バギー(ダブダブのズボン)』、女の子は露骨なビキニとまではいかなくてもツー・ピースで、みんなサンダル、特に安物のメキシコ製の革製メッシュサンダルのワラーチを履いていた)を着て、やり方が分かるのであれば間違いなく面白そうなアクティビティに興じていた。

全編鮮やかな色彩のテクニカラーだった。大きな問題はサーフィンがほぼ南カリフォルニアに限られていて、誰もがそこに住んでいるわけではなかったことだ。それでもサーフィンは、遠い昔にエルビスが登場して以来の新しいティーンエイジャー文化だった。
1959年、カリフォルニア州バルボア半島にあるアイス・クリーム・パーラーは、野心にあふれた若きギタリストで、急いでかき集めたバンドが演奏するための場所を探しているディック・デールDick Daleに賭けてみた。

デールは、1937年にボストンのリチャード・マンスールに生まれ、1954年、ロサンゼルスに家族ともども引っ越してきた。幼いころから音楽の才能を大いに発揮し、親戚と一緒に伝統的レバノン音楽を演奏していた。カリフォルニアではカントリー・バンドでトランペットを吹いていたが、本当に弾きたかったのは左利きにもかかわらずギターで、そのため、楽器を上下逆さまに演奏する必要があった。
息子の楽曲を販売するためにデルトーン・レコードDeltone Recordsを設立した父親の援助があって、デールは航空機製造会社のヒューズ・エアクラフトHughes Aircraftの仕事を辞め、一日中音楽に打ち込んだ。


ディック・デール&デルトーンズDick Dale and The Deltonesが開催した、アリスクリーム店での最初のライブには、たった数人の客しか現れなかったが、評判が増すに連れ観客も増え、ついにはビッグバンド時代の遺物で空き家になっていた近くのランデブー・ボールルームRendezvous Ballroomと、デール親子が契約交渉をしなければならなくなった。


1961年初めまでには、デールのライブに一晩4000人集客するようになった。
デールの生活は素晴らしいルーティンに入った。朝起きると特注したホビーHobieのボードでサーフィンをし、着替えてバルボアに開いたミュージック・ショップに仕事に行き、午後はそこで過ごす。

それから従業員に店を任せ、再びサーフィンに行き、ランデブーthe Rendezvousにおける夜ライブの準備をする。ミュージック・ショップは現金を稼ぐのに役立つだけでなく、楽器や機器のメーカーとのパイプ役にもなっていて、特に、サンタ・アナにあるフェンダー・ギターズ社Fender Guitarsのレオ・フェンダーLeo Fenderとは親交があった。



フェンダーはデールに耐久性と実用性をテストするプロトタイプを提供し、デールは有名なフェンダー・ショーマンFender Showmanやデュアル・ショーマンDual Showmanのアンプのテストを担当したが、このアンプは以前のアンプよりもとりわけ音が大きかった。


1961年、フェンダーは最初のフェンダー・リバーブ・ユニットFender Reverb Unitを贈呈して、このアンプでデールのサウンドが確定し、それがサーフ・ミュージックのサウンドになった。


