ストーンズには、不発に終わったレコードの次が必要で、しかもすぐに必要だった。ライブの演奏者としての人気は出てきたので、マネージャーたちは大規模ツアーに行かせる取り組みをしていた。
8月11日、ストーンズはリッチモンドのジャズ・フェスティバルで演奏したが、興行主によると、数千人のジャズファンと、数千人のストーンズファンの真二つに分かれ、ストーンズファンは、お気に入りのバンドの時に現れ、その後帰ってしまった。次のシングルは、思いもよらぬところから出てきた。レノンとマッカートニーは汲めども尽きぬ作曲の流れを開けてしまったので、ブライアン・エプスタインBrian Epsteinの顧客は、ビートルズがレコーディングしていない曲を真っ先に選んでいた。ビリーJクラマーとダコタスBilly J. Kramer and the Dakotasは「ドゥ・ユー・ウォントゥ・ノウ・ア・シークレットDo You Want to Know a Secret?」、「バッド・トゥ・ミーBad to Me」、「アイル・キープ・ユー・サティスファイドI’ll Keep You Satisfied」を、
シラ・ブラックCilla Blackは「ラブ・オブ・ザ・ラブドゥLove of the Loved」を選び、ジェリーとペースメーカーズGerry and the Pacemakersだけは、ミッチ・マレーMitch Murrayが彼らのために制作した「ハウ・ドゥ・ユー・ドゥ・イットHow Do You Do It」にした。
(この年の遅くになって、ペースメーカーズはブロードウェー・ショーの曲の「ユール・ネバー・ウォーク・アローンYou’ll Never Walk Alone」で、リバプールのサッカーチームの応援歌になったため、結局ペースメーカーズはリバプール第二の裕福なバンドになった。
9月10日、76日間78回のショーの一時的休止の間に、オールダムAndrew Loog Oldhamは、ジョン・レノンJohn Lennon、ポール・マッカートニーPaul McCartneyと一緒に、一つの曲を携えてロンドンの練習に現れた。
「僕はミックにこう言った。『リンゴRingoがこの曲をアルバムに入れたんだがシングルにはならない。君たちに合うかもしれない。』」とレノンは後に語った。「ミックは、クローダディーCrawdaddyで会ったときに、マラカスに熱中していたのを知っている。」そこで、「彼氏になりたいI Wanna Be Your Man」は、ストーンズの次の曲になった。
アメリカの芸能界は、この興奮に少し気が付いていた。エド・サリバンEd Sullivanは7月にイギリスに行って、クリフ・リチャードとシャドーズCliff Richard and the Shadow、フランク・アイフィールドFrank Ifield、ダラス・ボーイズthe Dallas Boys、 メイヨー・ヘンダーソンMayo Henderson、ケニー・ボールKenny Ballが9月にエドの番組に出演する契約を結んだ。
どういうわけか、エドは、ビートルズの「ツイスト・アンド・シャウトTwist and Shout」のドーナツ盤が、マーケットにほかのバージョンが2枚あるにもかかわらず、15万枚も売れていて騒動になっているのを見過ごした。
ビートルズは9月後半にはさらに良くなり、次にシングル「シー・ラブズ・ユーShe Loves You」がリリースされ、最初の8日間で50万枚売り上げた。
アメリカではキャピトルCapitol recordが再び見逃し、ビージェイVee-Jay recordは、二人の経営トップが交代したばかりで、混とんとしていたことに加えて、レーベルが選んだ最初の2枚のシングルに全く無関心だったために、見逃す羽目になった。
そして、フィラデルフィアの怪しいレーベルのスワンSwan recordからリリースされたが、またもやたいした反応はなかった。