しかし、それはブライアンが考えたり望んだりしたものではなかった。彼の自伝によると、A&R部門長のディック・ローDick Roweは、「率直に言って、エプスタインさん、私たちはあなたのグループのサウンドは好きでない。
ギタリストのグループは廃れかけれている。」別の幹部が言った。

「この子たちは売れないよ、エプスタインさん。私たちにはわかるんだ。あなたはリバプールで良いレコード・ビジネスをしているんだから、それに専念した方が良い。」ローは後になって、ここで引用された発言は自分のものでないと異議を唱え、イギリスで「ギター・グループ」と言えばシャドウズThe Shadowsしかいなかったし、とても好調だったのだから、と言えばわかるだろうと話した。

本当の理由は、デッカはビートルズともう一つのグループのブライアン・プール&トレミロズBraian Poole and The Tremilosのどちらかを選ぼうとしていて、ローはマイク・スミスに後者を選ぶように圧力をかけていたのだ。


その理由は、グループ自身のレコードを出すだけでなく、歌手がロックのバックを必要としたときのために、ハウス・バンドとして手元に置いておくためだった。ブライアンは、憮然としてそそくさと帰宅した。少なくともBBCは関心を持ったので、ビートルズはマンチェスターに向かい、そこで自分たちの能力を示し、放送してもらえることになって(少なくともビートルズには「ロックっぽい」けれども、「音楽を演奏しようという意図があった」とオーディションをした人が言っている)、翌日全国放送する番組録音の日付を3月7日と伝えられた。
しかし、ブライアンはレコーディング契約をあきらめようとはせず、デッカ・オーディションのテープを持ってロンドンに戻った。ブライアンは機会を捉えて、オックスフォード・ストリートにあるHMVレコード店マネージャーで知り合いのロバート・ボーストRobert Boastを尋ね、その事務所に座ると、ビートルズを聞きさえすればこのバンドがすごいということが分かるのにと愚痴をこぼした。
ボーストはレコードを売るのが仕事で、作っていないからバンドの良さはわからないが、HMVには地下に小さなスタディオがあって、だれもがテープ・デッキを持っているわけじゃないから、テープからデモ・レコードを作ることができるとアドバイスした。そこで二人は地下に行き、レコード作成担当のジム・フォイJim Foyがレコードにして、ブライアンに「聞いていて気に入った」と話すと、ブライアンがその3曲はビートルズが作ったと言った。こんな表現をできるグループはほとんどいないので、発売したのかとフォイはブライアンに尋ねたところ、ブライアンは、いやと答えた。フォイはEMI出版本部長のシド・コールマンSid Colmanに電話することを提案した。すぐにブライアンとコールマンは話し合った。コールマンはレノン・マッカートニーの曲を発表したがった。ブライアンはレコーディング契約をしたかったので、ビートルズが契約すればEMIが発表できるとコールマンに言った。次に何が起きたのかは正確にはわからないが、2月13日、ブライアンはA&Rのジョージ・マーティンGeorge MartinとEMIで会うアポを設定した。

(コールマンはマーティンを全く好きでなかったので、コールマンが設定したのではなさそうだ。)マーティンは、聞いた曲をあまり気に入らなかったが、ブライアンからレコードを受け取ってお礼を言った。その間に、通りの向こう側では、シド・コールマンがレコードを数曲聴いて、楽譜店で演奏するピアニストのソング・プラガーの一人、キム・ベネットKim Bennettに、このレノン・マッカートニーLennon-McCartneyの曲、「ライク・ドリーマーズ・ドゥLike Dreamers Do」をどう思うか尋ねた。


ベネットは気に入ったが、グループ名は気に入らず、EMIに行って楽曲の出版権を獲得するために出版社がレコーディング・セッションのお金を出すことに同意した。EMIはシド達に出版権を確保しろと言って、レコードを作らせた。
