EMIにおけるビートルズのチャンスも同じように、あっけなく消えた、あるいは、そう思えた。EMIは「現状では、このタイプのグループとたくさん契約していて、今この種の契約を重ねて締結することは賢明でない」という堅苦しい言葉遣いの手紙を送ってきた。しかしブライアンはあまり心配していなかった。

デッカが新人レコード・プロデューサーのマイク・スミスMike Smithを採用し、マイクは自分の最初のビッグ・ヒットになるタレントと契約するのに躍起になっていて、リバプールにやって来て12月13日にキャバーンでビートルズを見たのだ。


これが大騒動になった。何しろロンドンのA&Rがリバプールに来たのだから。ブライアンは張り切って、正式のマネージメント書類をきちんとそろえた。ビートルズは、ジェリー&ペースメーカーズGerry and The Pacemakers、キングサイズ・テイラー&ドミノーズKing-Size Taylor and The Dominoesと一緒にクリスマスパーティーをキャバーンで盛大に催してこの年を締めくくった。


しかし、ショーは悲惨で、ピートは病欠の電話を入れた。土壇場になって代役を見つけたが、それがビリー・ヒューリー&ハリケーンズBilly Fury and The Hurricanesのドラマー、リンゴ・スターRingo Starrだった。

誰もがこのショーはとても楽しかったと記憶していたのだが、それはリンゴがぴったり当てはまったからだ。残念なのは、リンゴがアメリカに移住するつもりだったことだ。少なくとも彼はそう言っていた。最終的に移住の書類が膨大なのが分かったが、ともかく出国してトニー・シェリダンと一緒に演奏するためにハンブルグに行った。

これはペーター・エクホルンPeter Eckhornが、シェリダンと一緒にクリスマス後にリバプールを尋ねた後のことだった。
シェリダンのためにバンドを編成するという問題があったが、ペーターはビートルズに何が起きているのかを知りたがっていた。ビートルズは、ハンブルグにいた時にはそこが嫌いだったのに、いなくなると寂しいと思っていることが分かったからだ。エクホルンには合点がいった。新しいマネージャーはエクホルンにはとても手ごわくて、最終的にブライアンはビートルズのために良いフィーを獲得し、もし計画がうまく行けばビートルズは3月1日にトップテンthe Top Tenでスタートすることになった。

