今考えてもおかしいことに、夜は仕事がなかったのでロンドンの街に出ても、クラブでバンドは一つも見なかったのだが、それはいなかったからだ。ロンドンはイギリス政府、文化産業、レコード・音楽出版産業、マスメディアの中心だが、語れるようなポップ・ミュージックがない。


有望な者は発掘されてレコーディングするが、リバプールのようにバンドが観客の前で汗をかいて夜長い間演奏することはなく、若いバンドは、現状を把握し改善するチャンスがない。ところで、ビートルズはこの最初のロンドン旅行では見なかったが、何かが起きていた。ミュージシャン労働組合によって妨害されたが、網の目をくぐってクラブに入り込んでいるアメリカの音楽もあった。クリス・バーバーChris Barberはその手助けをした。
1957年後半、熱のこもったギター演奏伝道者で、ジャズ・バンドと一緒に、あるいは、ナイトクラブで演奏するのを厭わないシスター・ロゼッタ・サープSister Rosetta Tharpのスポンサーとなり、数年前にニューヨークのフォーク・シーンで見い出されたハーモニカ・ギター・デュオのソニー・テリー&ブラウニー・マクギーSonny Terry and Brownie McGheeが1958年春に来るのを支援した。


観客は彼らを気に入った。この年の後半、バーバーは素晴らしいことを成し遂げたのだがそれは、彼が昔から崇拝していたマディ・ウォーターズMuddy Watersとピアノのオーティス・スパンOtis Spannだった。


この種の音楽であれば、やろうとすればいつでもラウンドハウス・クラブthe Roundhouse clubを満席にできるとわかっていたので、ひそかにライブを企画したところ、90名満員になり、観客は感動し敬意の念を払って静かにしていた。

それから短いイギリス・ツアーに行き、最終公演はロンドンだった。ジャズ・ファンの中にはマディの歌を嫌いな者もいたが、ひょろっとしたティーンエイジャーのジョン・ボルドリーJohn Baldryなどの若者は、こんなにすごいものを実際に見られる幸運に驚いた。
マディが帰国してラウンドハウス・クラブを盛んにほめると、メンフィス・スリムMemphis Slimがそれを聞きつけた。

スリムはシカゴに移ったばかりだったが、バーバーが来てほしいと言うと、すぐに同意した。翌年末前に、スリムはヨーロッパに移住する計画を立てたのだが、ヨーロッパの観衆は音楽そのものを聞いてくれて、黒人かどうかはどうでもよいのだ。もちろん、アレクシス・コーナーAlexis Kornerやシリル・デイビスCyril Daviesは、バーバーと一緒に演奏し、アメリカ人が演奏するのを目の当たりにしても、自分たちの幸運を信じられなかった。

後になって、彼らとロング・ジョン・ボルドリーLong John Baldryは、ブルース・インコーポレイティッドBlues Incorporatedという完全エレキのブルース・バンドで一緒になった。このバンドは1962年3月17日にアーリングの地下クラブでデビューし、ジャズ・ニュース誌Jazz Newsに小さな広告を出し、100名以上がライブに集まった。はるばるチェルトナムから来た人もいると言われ、馬鹿みたいに思えてもそんなことはなく、そこから来た真剣な若者はふさふさした金髪で、クラブがオープンした2日目(土曜日限定)の夜に参加してギターを弾きたいと頼み、自分はエルモ・ジョーンズElmo Jonesだと名乗った。コーナーは、バーバー・バンドBarber bandがソニー・ボーイ・ウィリアムソンSonny Boy Williamsonを呼んで、短いツアーをした時からジョーンズを知っていて、ジョーンズはチェルトナムの演奏後にコーナーを呼び止めてブルースの話をしたがったので、コーナーは驚いた。

ジャズが好きな宣伝担当見習いドラマーのチャーリー・ワッツCharlie Wattsは、シリル・デイビスのようなハーモニカ演奏を聞いたことがなかったので、ちょっとびっくりした。

1か月もたたないうちに、土曜の夜、スコットランドからヒッチハイクしてアーリング・クラブに行く人が出てきた。
