リバプールの状況は混とんとしていた。モナ・ベストMona Bestはビンセント・ローグ・ベストVincent Rogue Bestを7月21日に出産し、ジョン・レノンJohn Lennonのガールフレンドのシンシア・パウエルSynthia Powellは妊娠したことに気が付いた。


シンシアはびくびくしながらジョン・レノンとひざを交えて、そのことを伝えたが、長い沈黙の後、「それに関して一つだけある。シン、僕たちは結婚しなくてはいけない」と言った。日程が決まった。
シンシアの母親は、この上なくジョンのことが嫌いで8月22日、キャバーンでグラナダGranada TVが撮影する日にカナダに出航する予定だった。
ブライアンは戸籍事務所に23日の予約を取った。しかし、ドラマーの手当てはまだできていない。

ジョン・レノンにはもうすぐ子どもができようとしている。しかし、シンシアも含めて誰もが、子供ができたことや、ビートルズがらみの結婚について話すことは禁じられていることは分かっていた。しなければいけないことは、ピートPete Bestが署名したパートナーシップ合意書から法的に離脱させ、契約書と同程度に儲かる仕事をブライアンが見つけてやることだ。しかしブライアンには考えがあった。
![The Beatles – The Best Year - The Complete Recordings Of Pete Best And The Beatles - June 1961 To June 1962 – CDr (Unofficial Release), 2000 [r4194836] | Discogs](https://i.discogs.com/psc9CHdDqOAjTqPtbS5RMe2rRyAEfN_NhJ5_rhupZ0A/rs:fit/g:sm/q:40/h:300/w:300/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTQxOTQ4/MzYtMTM1ODE5MDAz/OC02NTc5LmpwZWc.jpeg)
リバプールに誕生した数多くのグループの一つにマージー・ビーツThe Mersey Beatsがいて、なかなか良いティーンエイジャー集団だったがそのドラマーが離脱することになったのだ。

ブライアンはピートに会ってこの話を伝え、ドラマー兼リーダーに即座に就くというオファーを出せた。ブライアンは8月14日火曜日、バトリンに電話し、リンゴRingoを呼び出してもらった。

リンゴが出ると、ブライアンはビートルズに参加するかどうかを尋ね、リンゴはイエスと答えた。今晩リバプールに戻って練習できるかと尋ねると、いや、知らせなければならないので土曜日に行くといった。ピートとの打ち合わせは木曜日にセットしたが、容易ではなかった。ブライアンはビートルズの実情を説明した。その内容は、ビートルズはピートを力量不足と考え、EMIは次のセッションにピートはいらないということだった。ピートは納得せず、出ていくときに、玄関でマージー・ビーツThe Mersey Beatsとすれ違った。彼らの話は打ち合わせの中で出なかった。ブライアンは自分のオフィスに入り、マージー・ビーツに、今は会えないと伝えた。最後に、ビートルズとの契約を修正して、ピート・ベストPete Bestをリチャード・スターキーRichard Starkeyの名前に差し替えることを弁護士に依頼した。
ピートはビートルズに会うのは我慢ならないのでニールNeil Aspinallと一緒に大酒を飲みに行きたがったが、解雇になったのはピートだけで、自分は解雇されてないと言い、ビートルズはその夜ライブがあるから、自分は酔っぱらうわけにはいかないと言った。

ニールの顔を見てビートルズはほっとしたのは明らかだったが、土曜にリンゴが午後の練習のためにキャバーンに現れたことにもほっとした。ポート・サンライトのハルム・ホールHulme Hallにおけるその夜のライブは、毎年恒例の園芸協会ショーの間に行われた。

ピートはいつも自分でドラムをセット・アップしていたのでニールはやり方を知らず、ドラムのセッティングについてニールとの間でちょっとしたいざこざがあった後、ビートルズは初めてリンゴとステージに上がったところ、ビートルズのサウンドは、圧倒的に良くなった。出演しているほかのミュージシャン、ファン・クラブ秘書のボビー・ブラウンBobby Brown等みんな気が付いた。
そして、水曜日にグラナダがテレビ用に撮影した。
