もっと近くから来る者もいて、キース・リチャーズKeith Richardsはシドカップの美術学校で一日過ごそうとして、郊外にあるダートフォードの鉄道の駅で、チャック・ベリーChuck Berryのワン・ダズン・ベリーズOne Dozen Berrysなどたくさんのアルバムを脇に抱えた同世代の子を見つけた。




キースは、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスLondon School of Economicsに出席するためにこの町に向かってきたマイク・ジャガーMike Jaggerに声をかけ、次の20分間、キースが列車から降りなければならなくなるまで、二人は音楽について話をした。


その時に、ジャガーはかなり裕福だったので通信販売でアメリカから取り寄せたレコードを見るために、二人がジャガーの家で会う約束をした。二人にはディック・テイラーDick Taylorという共通の友人がいることが分かったが、ディックはキースと同じようにレコードの楽曲をギターで演奏しようとしていた。
1961年秋までに、彼らはリトル・ボーイ・ブルー&ブルー・ボーイズLittle Boy Blue and The Blue Boys というへぼなバンドを結成した。
![Little Boy Blue & The Blue Boys – Rollin' Stones Blues – Vinyl (10", 33 ⅓ RPM + 2 more), 2016 [r11564132] | Discogs](https://i.discogs.com/sCcu93HM8A1Jb6reJkY6QBITTB3rpwmzXkZRyxbfgd4/rs:fit/g:sm/q:90/h:579/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTExNTY0/MTMyLTE1MTg3MTIz/NTctMTg2Mi5qcGVn.jpeg)
ある時、彼らは誰かのリビングルームで数多くのチャック・ベリーの曲、エルビスを1曲、「ラ・バンバLa Bamba」をテープに録音した。



郊外にいたブルース・グループは彼らだけではなく、オックスフォードに住むポール・ポンドPaul Pondはサンダー・オディンズ・ビッグ・シークレットThunder Odin’s Big Secretというバンドを率いていた。
チェルトナムにいるブルース・ファンのエルモ・ジョーンズElmo Jones(ちなみに、本名はブライアン)はポンドを探し出し、すぐに一緒に演奏した。二人もテープを作り、良い出来だと思った。ブライアンは自分の率いるバンド(実在しない)に参加するよう誘った。ポンドもバンドを持っていて自分はそのリーダーだと答えたが、二人は友人のままだった。それでもブライアンは自分のバンドが欲しかったので、1962年初めロンドンに移って、本格的に活動した。ジャズ・ニュース誌Jazz News5月2日号に求人広告を出した。
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「リズム&ブルース:ギタリスト、ボーカリストでR&Bバンドを結成。ハーモニカやテナー・サックス、ピアノ、ベース、ドラムスが必要。練習熱心なこと。面白い仕事多数」。すぐにブルース・ピアノが得意なイアン・ストゥワートIan Stewartから連絡を受けた。

レスター・スクエアのホワイト・ベア・パブthe White Bear pubで練習が始まったが、ブライアンがたばこを盗み続けたのでそこから放り出された。アレクシス・コーナーAlexis Kornerは練習のために、ジェフ・ブッドフォードGeoff Bradfordを送り込んだが、頑固なブルースの純粋主義者で、その後6月にジャガーが現れ、翌週にはディック・テイラーDick Taylorとキース・リチャーズKeith Richardsを連れてきた。

この時点でブラッドフォードは、チャック・ベリーChuck Berryやボ・ディドリーBo Diddleyを演奏してくれと言われたので、練習に来なくなった。
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これで面白くなってきた。
