次はハンブルグで、演奏のポスターの見出しは、本国では全盛期を過ぎたがハンブルグでは需要のあったアメリカのジョニー&ハリケーンズJohnny and The Hurricanesで、ビートルズも一緒にいて、報酬は増え、住まいは良くなり、演奏曲数は少なくなったが、12月のドイツがパラダイスだと思う人はおらず、ハンブルグの赤線地域はなおさらそうだ。



ロンドンでは、ディック・ジェームズDick JamesがブライアンBrian Epsteinに大きな取引を持ち掛けていて、それは出版収入を、ブライアンが作る会社と折半にするというもので、ディックはその成果に強い自信を持っていた。

奇妙なことに、このシングルはまだチャートにいて、17位を上回ることはなかったが、とはいえ、その辺りにいた。まだ売れているようだった。ビートルズはこのことを知らず、ニュー・イヤーのショーと1月5日にスコットランドに行く飛行機のチケットに集中していた。
ロンドンの他の場所では、ローリング・ストーンズThe Rolling Stonesがゆっくりではあるが、頭角を現し始めていた。
ビル・パークスBill Perksは、レギュラーで所属しているクリフトンズThe Cliftonsよりも儲かる仕事を探していた。

ビルはブライアン・ジョーンズBrian Jonesがジャズ・ニュース誌Jazz Newsに載せた広告を見たが、それには既に定期的活動をしているし、ベーシストが必要とあったのでバンドのオーディションを受けた。


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「レギュラーで」というのは、イーリングでは毎週という意味だが、仕事は仕事だし、メンバーはパークスが好きだったようで、そのうえパークスはアンプを持っていて、たばこを気前よく配っていた。ストーンズのメンバーはアメリカの黒人音楽に関するパークスの知識を問う質問をしたところ、ロックンロールについては知っていたがリズム&ブルースはダメだとわかった。しかし、グループがパークスの腕前を試していると、その最中、いらだったパ-クスは、「君たちには12小節のブルースを一晩中演奏できない」と言った。でも、彼らはできると思った。いずれにせよ、パークスはまた来てくれと頼まれた。パークスは練習を踏んだので、今度はかなり良くなり、バンドはパークスにオファーを申し出た。クリフトンズは明らかに行き詰っているが、ストーンズは成功するかもしれない。クリフトンズは、デモ・レコードをすでに作って、いくつかのレコード会社に送ったところ、デッカは「そのシンガーではだめだ」という手紙とともにレコードを送り返した。しかしパークスはなぜか、「ストーンズの方が、見込みがある」と感じた。そこでパークスは、12月14日、ウィンザーのスター&ガーター・ホテルthe Star and Garter Hotelにあるリッキー・ティック・クラブthe Ricky Tick Club で、ストーンズと最初の演奏をした。


「観客は学生と、シカゴのR&Bを知っている少数のアメリカ軍人が混ざっていた」とパークスは話している。「彼らは感動していた。」パークスはクリスマスを妻と幼い息子と共に過ごし、ストーンズは安いランチを一緒に楽しんだ。それからイーリングに戻ってこの年最後のライブを行った。翌年は確実にもっと良くなるだろう。
