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自分を表現する最も良い方法はライブを録音することだったが、キング・レコードKing recordsのシド・ネイザンSyd Nathanは、案の定そんな余裕はないと言った。

仕方がない。ブラウンは今度のツアーのために貯めてきた5,700ドルを引き出して、1962年10月24日のハーレムのアポロ・シアターthe Apollo Theaterにおけるショーの録音に充てた。


しばらくテープの作業に取り組んだ後、キングKing recordsのチーフ・レコーディング・エンジニアのチャック・ザイツChuck Seitzを手伝って、アルバムに集約した。ザイツは白人のソックホップ・ダンスパーティーから叫び声と群集の騒音を注入したので、視覚だけで音声はあまりない時間帯が編集され、音の空白がないように確実に編集した。それでもネイザンは気に入らなかったが、ブラウンはアセテート盤を作り、DJ達に戦略的に送った。影響力のあるフィラデルフィアのジョッキー、ジェリー・ブラバートJerry Blavatは、1963年初めのショーでジェームズの楽屋を訪ね、ジェームズから1枚受け取ると、家に持ち帰ってかけ、翌日の放送でかけた。
2枚目のレコードは、アラバマ州モンゴメリーのアリン・リーAllyn Leeのところに行き、同じことをしたところリクエストの電話がじゃんじゃんなった。アルバムの成功に不可欠なことは、LPの両面にぴったり合うようにショーを二つに分けること以外に、個々の曲がないことで、そうすれば全部かけなければならない。ネイザンに電話がかかり始めたのだが、ディスク・ジョッキーたちが、なぜレコードを送ってこないか不思議に思い、まだ発売されてないのか?リリースしてくれ!ということだった。そこで5月にリリースした。「プリズナー・オブ・ラブPrisoner of Love」で興味をそそらせ、「ライブ・アット・ザ・アポロLive at the Apollo」がごちそうだった。


若い白人の子たちにとって、町の不慣れな地域の怖いショーに行かずにジェームズ・ブラウンを経験できる方法でもあったため(ちょうどその頃、そうし始めたのだったが)、アルバム・チャートに入り66週間居続けた。ジェームズ・ブラウンは成功した。たったの7年しか、かからなかった。
このエネルギーを察知したのか、多くの投資家がこの種のゴスペルの熱狂は、次なる目玉であると判断し、5月中旬にタイムズ・スクエアにナイトクラブ、スイート・シャリオットSweet Chariotを開店した。ゴスペルのドレスを着た「ウェイトレス」、おっと失礼、「天使」が飲み物の給仕をするような感じの、もっと世俗的なゴスペルを探した。
クララ・ウォードClara Wardはこういったことについてかなり寛大な人でそこに短期間滞在した、クラブ付きのグループはアルバムを作ったが、このアイデアは最初から破綻していた。

いわゆるソウル・ミュージックをやっているゴスペル志向のシンガー達を出演させればよかったのだ。たぶん、黒人が多すぎて黒人だけのシーンにならないようにしたかったのだろう。ともかく、数か月で行き詰まり、エンジェルたちはほかの場所へと飛んで行った。
