エプスタインBrian EpsteinはビートルズThe Beatlesをマネージしたいとすぐに思ったが、その件について彼らに近づく方法は、非常に注意深くしなければならないことも分かっていた。


エプスタインは夜のショーをたくさん見に行き、キャバーンのランチタイムもできるだけ見る時間を作って、マネージメントをしようと考えていることを家族に話した後、11月29日にマネージメントについて話す会合を設定した。

彼は「マイ・ボニーMy Bonnie」を2箱発注し、「ビートルズのレコード、ここで販売」という看板を窓に張ったところ、すぐに完売し、追加発注した。

数時間遅れて、ついにビートルズがボブ・ウーラーBob Woolerと一緒に会合に現れ、ブライアンはビートルズに、経歴、レコード作成の経緯などを尋ねた。

最後に、うまくいくかどうかを見極めるために、しばらくマネージャーとして活動することにブライアンは同意し、レコード数枚を持ってロンドンに行って、レコード会社から何らかの反応を得られるかどうかを見ると言ったが、その会社のレコードをかなり大量に売ったことがあるので、ブライアンの名前はみんな知っている会社だった。ブライアンはアラン・ウィリアムズAllan Williamsとも話をしたのだが、アランはブライアンに、書面にしておかないとアランと同じようにブライアンも痛い目に遭うと警告した。
ロンドンでブライアンと最も良い関係にあったのはEMIで、同社のマーケティング本部長ロン・ホワイトRon Whiteはブライアンがセールスマンの時から覚えていて、ネムズNemsを訪問したこともあった。
ロンは会社のアーティスト&レパートリーA&Rにレコードを見せると約束し、ビートルズとケンプフェルトKaempfert、ポリドールPolydorとの契約書の写しをドイツ語の話せる同僚に見せた。

次の訪問先はデッカDeccaで、同社は丁重だったし、契約書の写しを受け取った。ブライアンはデッカの商品をたくさん売りさばいていたので丁重にならないわけはなかった。それからほかの部門に行ってトニー・バローTony Barrowと会ったが、トニーはリバプール出身で、デッカでライナー・ノートを書く仕事をするためにロンドンに引っ越してきた。


そして、ディスカーDiskerというペンネームで、リバプール・エコー紙Liverpool Echoにレコード批評コラムを寄稿していた。

そのレコードがあまり好きでなかったが、上司に話をしようと言ってくれた。できることはし終えたので、ブライアンは寝台車に乗ってリバプールに向かった。12月3日の日曜日、ビートルズはネムズに来るように言われたので訪問し、営業はしてなったが、ブライアンはクリスマスセールの仕事をしていた。えーと、3人はいるがポールがいないので、ポールの両親に電話すると、起きたばかりで風呂に入っていることが分かり、ブライアンは快く思わなかった。「あのー、ポールは遅れてくるかもしれない。でも、とてもきれいだ。」とジョージは言った。ついにポールが現れて、ブライアンは4人にロンドン出張の説明をし、ドイツの契約書に規定されていることがはっきりしないと何も進まないと、付け加えた。ブライアンは、この時点でビートルズの出演予約を扱っていたピートとも打ち合わせをして、ピートの知っていることを教えてもらった。ビートルズが一晩15ポンドしか稼いでないことにも驚いたが、その理由はビートルズがもっと価値のあることぐらい、ショー・ビジネスに精通していたブライアンにはわかっていたからだ。パブが開店したので、彼らはキャバーンの隣にある、出演後にくつろぐパブのグレープスthe Grapesに移動し、話し合いを続ける中で、ジョンとポールは、たくさん曲を作ったが今のところステージで演奏してはいないと話した。


これを聞いたブライアンは、ライブ演奏やレコードと同様に、収入源として儲かると思い、この件をさらに熟考しようと預かった。ビートルズは十分に話を聞いたので、パブでの話し合いの終わりに、ジョンは「わかりました。それじゃあ、ブライアン、僕たちをマネージして下さい」と言った。
