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ロンドンは活気がみなぎっていた。今から振り返れば、これは予想できたことで、1954年までイギリスは食糧配給が終了せず、そのころビートルズの世代は10代初めで、ブリティッシュ・インベージョンの連中は、イギリスが長年楽しめなかった、選択をして生きる世界の中で成長したし、同時に選択する権利があるということを感じていた。

国が繁栄するにつれて余暇が急増し、芸術にも大いにかかわるようになった。これには詩も含まれ、1950年代のアメリカン・ビーツthe American Beatsに刺激された若い詩人がロンドンやリバプールに出現し、ロンドンのシェアリング・クロス・ロードにあるベター・ブックスBetter Booksという本屋が集合場所の一つとなった。


ここのペーパーバック・コーナーはビル・バトラーBill Butlerというモンタナ出身の詩人が運営し、1965年1月に、単にマイルズMilesとしてみんなに知られるバリー・マイルズBarry Milesにこの仕事を譲った。

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マイルズはイギリスとアメリカのアングラ文化によく調和して、すぐにガリ版刷りの奇妙な詩の雑誌がこの店に出始め、それを書いた人たちも必然的に来るようになった。マイルズは詩の朗読を始めていたので、6月にアレン・ギンズバーグAllen Ginsbergが現れたとしてもあまり驚きはしなかった。

速やかに朗読会が開催され、お店は混雑し、ほとんどの聴衆は側道から聞き、スコットランドのディランを自認するドノバンDonovanは朗読が始まるまで大道芸をした。


ギンズバーグは、不品行が理由でキューバから追い出されてチェコスロバキアに行き、そこで大成功して『King of the Mayの栄冠』を受け、それからロンドンに行った者であり、注目に値する出来事だった。ボブ・ディランBob Dylanのアコースティック・ツアーの最後のために到着した(映画、ドント・ルック・バックDon’t Look Backの中の初期ロック・ビデオ、「サブテレーニアン・ホームシック・ブルース」のために宗教指導者の服を着て現れ)が、マイルズMilesとその妻スーSueの家に泊まった。



ギンズバーグは6月3日に39歳になるところだったので、マイルズがパーティーを開き、そこにはジョン・レノンJohn Lennonとジョージ・ハリソンGeorge Harrisonも姿を現した。

数日後にギンズバーグは、仲間のビート詩人のローレンス・ファーリンゲッティLawrence Ferlighettiが町に来ること、そして、やはりビート詩人のグレゴリー・コーソGregory Corsoがパリにいることを知った。
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反体制派のソビエト詩人アンドレイ・ボズネセンスキーAndrei Voznesenskyも来る予定なので、みんなで詩の朗読会をするのに良い機会だ。


