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しかし、ボブ・ディランとしても何もしなかったわけでもなく、次の手として、数年前にシカゴで会ったギタリストに接触した。

マイケル・ブルームフィールドMichael Bloomfieldは裕福な子供で、レストラン用品を供給する大きな会社の跡継ぎだったが、ギターにしか関心がなかった。ブルースに没頭し(シカゴで生活していたのだからそれもそのはず)、すぐに、やがて同じような感覚を持つ白人の若者たちの輪の中に入り込んでいった。

ほとんどの子たちはシカゴ大学で毎週開かれるパーティーによって、周りの者に導かれていったが、それは最終的に二人の学生のポール・バターフィールドPaul Butterfieldとエルビン・ビショップElvin Bishopに仕切られた。


学生でないニック・グラベナイツNick Gravenitesとノーマン・ダイロンNorman Dyronも参加し、時にはリトル・ウォルターなどの地元のスターも加わった。
シカゴのフォーク・シーンでは、エレキの楽器を演奏することは決して不名誉なことではなく、フォーク歌手の中には、たとえば、ブルームフィールドのように、忘れ去られてしまった1930年代のブルース・スターを探し出すことに関心のある者もいた。
バターフィールドとビショップは、ジェローム・アーノルドJerome Arnoldとサム・レイSam Layという二人と組んだが、この二人はハウリン・ウルフHowlin’ Wolfのリズム・セクションを担当し、ポール・バターフィールド・ブルース・バンズThe Paul Butterfield Blues Bandとして町の辺りで演奏した。




白人が率いるこれほど正統性を持ったエレキのブルース・バンドは全くの掘り出し物で、エレクトラ・レコードElektra Recordsは契約した。バンドは、1965年4月のセッションにブルームフィールドがピアニストとして参加するように頼んだが、うまくいかなかった。

