リスペクト
デビッド・ヒンクリーDavid Hinckleyは、ニューヨーク・デイリー・ニュースのベテランの特集記事執筆者でコラムニストであり、長年にわたってリズム&ブルース・ミュージックの歴史家だった。
彼は以下のようにR&Bボーカル・グループの『正当性』を論証する。
こう宣言することは変に思えるかもしれないが、私は『ドゥーワップ』という言葉は好きではない。
このボックス・セットで使われているように、一般的に愛情をもって使われ、亡きDJのガス・ゴサートGus Gossertによって世に広められたように、あるからかい半分のユーモアから生じたものだ。
それでも好きでないのは、シャンテルズThe Chantelsのアーリーン・スミスArlene Smithが、『ガール・グループス』という言葉が描く音楽を、微妙に矮小化すると感じるのを説明したのと同じ理由からだ。
彼女の説明によると、この言葉は、いったん中核となっている本物のファンから離れると、この音楽を単にかわいく面白いものにしてしまい、その価値を減じ、作家、歴史家、そしてたまたまファンになった人が浮ついた娯楽にしか見なさなくなることを意味している。
これが『ドゥーワップ』に関する私の主張で、この言葉は1950年代のスタイルのリズム&ブルース・ボーカル・ハーモニー・グループの豊かで変化に富んだ音楽が、2~3の意味のない音節に凝縮されるということだ。
これは私にとって、ルイ・アームストロングLouis Armstrongを「へロー・ドーリーHello, Dolly」を使って定義するようなものだ。
スパニエルスTha Spaniels、ムーングロウズThe Moonglows、
フラミンゴスThe Flamingosi、オリオールズThe Orioles、
ファイブ・キーズThe Five Keys、フランキー・ライモンとティーネージャーズFrankie Fymon & The Teenagers、
そして数多くの他のグループの音楽を、シボレーのテイルフィンのような、文化の一時的な珍しいものという地位に貶めることは、アメリカが繰り返す最悪の特徴の一つで、我々自身の大衆文化の価値と文化を評価しないことだ。ブルース、ジャズ、ポップ、ゴスペル、あるいはそれらが全部混ざった素晴らしい雑種のロックンロールと同じように、リズム&ブルースはほとんどのアメリカ人によって、若いころ、つまり大人になってモーツァルトやおそらく二人のガーシュウィンのような本物の音楽を学ぶ前に楽しむものと見なされている。フラミンゴスThe Flamingosのこの上なく素晴らしいハーモニーを聞いて本物の芸術に気が付けば、必ずウォルフガング・モーツァルトWolfgang Mozart、ジョージ・ガーシュウィンGeorge Gershwin、アイラ・ガーシュウィンIra Gershwinを過小評価することになるということが分かりそうだ。