「女はそれを我慢できないThe Girl Can’t Help It」や


「ロック・ロック・ロックRock Rock Rock!」でフィーチャーされた曲を含めるように気を付け、すぐにイギリスのティーンエイジャーはレコードに45回転用の3点スピンドル・アダプターがプレスされた青と銀のレーベルに注目するようになり、買って家に持ち帰った者もある。

もちろん、アメリカでヒットしたものがすべてイギリスでもヒットしたわけではなく、ポピュラー音楽を放送するのは1局しかなく、ポピュラー音楽に割ける時間はわずかだった。しかも、他の国同様に放送は売り上げに貢献するのだが、放送されないので売り上げもたいしたことはなかった。
もちろんロックンロールは少しだけ手に入りやすくなっていて、RCAはエルビスElvis、デッカはすでにバディ・ホリーBuddy Hollyとビル・ヘイリーBill Haleyの権利を獲得し、フランキー・ライモンFrankie Lymonは何回かツアーをしてロンドン・パラディウムThe London Palladiumでライブ・アルバムを録音したので、そのレコードを販売した者もいた。

![Second Album -Hq- [Analog]](https://m.media-amazon.com/images/I/61zgXTJq19L._UF1000,1000_QL80_.jpg)

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しかし、アトランティックAtlantic、チェスChess、サンSun、マーキュリーMercury、リバティLibertyには、そのような代理人がいなかったので、ミミ・トレペルMimi Trepelが望むレコードの使用許可を喜んで出した。そして、これらのレコードを聞いたイギリスの子供たちは考えた。トミー・スティールTommy Steeleが典型的なブリティッシュ・ロック(トミーは、自分の描くキャリアであるオール・ラウンドなエンターテイナーにとって、「ロックンロールの支え」は必要ないと言っている)だった時、これをどうやって実行に移すかが問題であったが、スキッフルは毒にも薬にもなった。

もしギターかバンジョーが2本ありさえすれば、自分でできるスキッフルという音楽はとても魅力的だから、あまりラジオで流れなくても、イギリスでは1957年にすごい勢いで広まった。ロンドン、特にソーホー地区のデンマーク通りはスキッフルの中心地だったが、スキッフルは本質的に素人芸なので人から人へ伝わりやすく、瞬く間にロンドン以外にも広まった。


