第11章
ロックンロール誕生における50年代の影響
「ロックンロールは大人になる途中で経験する音楽の離乳食のようなものであり、仲間と同じ行動をしようとして、くだらないものに熱を上げたのだ。それは音楽ではなく、病気だ。子供たちがロックンロールを好きなのは、親がそれを好きではないからだ」。
ミッチ・ミラーMitch Miller、コロムビア・レコードColumbia Records
1955年1月、私は14歳で、ニューヨークのロングアイランドに住んでいた。ロックンロール誕生の世代は、1935年から1944年の間に生まれた世代だ。
リズム&ブルースをハイジャックし、自分たちのものにした世代だ。これは歴史的なことで、アメリカ史上、いや歴史上初めて、ティーンエイジャーが親の音楽とは別に自分たちの音楽を持ったのだ。北部に住む83歳になる私のいとこは、10代の頃に聞いた1940年代のビッグ・バンド・サウンドが、いかに素晴らしかったかをいつも私に話してくれる。彼女は、それが両親の音楽だったことを理解していない。
1955年1月より前は、親もティーンエイジャーも同じポップ・ミュージックを聴いていたのだ。このアメリカの現象を理解するには、第二次世界大戦後にアメリカで起こった政治的、社会的、経済的、文化的変化を調べる必要がある。
50年代の持ち家
アメリカのGIは帰還すると、裕福になり、復員兵援護法によって高等教育や持ち家を入手できるようになった。50年代初頭には、変動金利住宅ローンを利用して2LDKの新築住宅を3%の金利で購入することができ、月々の支払いはわずか60ドルだった。
第二次世界大戦中、建築家のウィリアム・レビットWilliam Levittは海軍の軍人に大量生産住宅を提供する責任者だった。戦後、彼はその軍隊でのスキルを生かし、米軍兵士のアメリカ帰還によって沸き起こった住宅ブームに対応するため、大量生産住宅を提供した。
彼の最初の大量生産住宅プロジェクトは、ニューヨーク州ロングアイランドの、当時レビット・タウンと呼ばれていた場所だった。
これらの2LDKの住宅はすべて同じもので、政府の支援(頭金なしで8,000ドルの連邦住宅管理公団の30年住宅ローン、月々の支払いは賃貸料程度)で購入することができた。一般家庭がマイホームに住めるようになったのは、アメリカ史上初めてのことだった。これが最初の郊外住宅の大量生産であり、アメリカ全土の郊外の象徴となった。レビットは近代郊外の父であり、彼の作品は全米の近代郊外の原型となっている。レビットのタウン・ハウスは50年代に全米に広がった。失業率が4%を下回り、多くの家庭が初めて持ち家を楽しむようになった。