2-4.デビル・オア・エンジェルDevil Or Angel-クローバーズThe Clovers、ブランシュ・カーターBlanche Carter
55年11月10日録音、55年12月アトランティックのシングルとして発売:R&B3位
クローバーズは、50年代初めの最も人気のあった黒人ボーカル・グループの一つで、次から次へと着実にヒットを出し、その過程でアトランティックが順調に経営を維持し、会社を本当に築き上げるスター達(レイ・チャールズRay Charles、ラ・バーン・ベイカーLa Vern Bakerなど)を育てた。
このグループは、この当時流行したセンチメンタルなバラードやノベルティの元気良い曲、そして、ドゥーワップと呼ばれることになるほとんどレコード化されなかった曲とは対照的に、アップ・テンポでダンス向きのスタイルで最初に成功した。はっきり言うと「デビル・オア・エンジェル」は、人気急上昇中のロックンロールへのある種の降伏であるが、他のヒット曲を生み出した才能が、この曲でもいかんなく発揮されている。
クローバーズは、10代でもストリート・コーナーのグループでも決してなかったが、何年も分かれずにいた。運命の定めで、クローバーズは数年後に最大のヒット(『ラブ・ポーション・ナンバー・ナインLove Potion No.9』で、64年にはサーチャーズThe Searchersもヒットさせた)を出すが、それは昔ながらのR&Bスタイルをやめたずっと後のことであり、同じ年に『ティーン・アイドル』のボビー・ビーBobby Veeが「デビル・オア・エンジェル」をさらに大きくヒットさせた。