ザ・ドゥーワップ・ボックス Ⅰー42

1-5.クライング・イン・ザ・チャペルCRYING IN THE CHAPEL-オリオールズThe Orioles(アーティー・グレンArtie Glenn)

Sonny Till & The Orioles - Crying In The Chapel - YouTube

53年6月30日録音、53年7月ジュビリーJubileeのシングルとして発売:R&B1位、ポップ11位。59年9月ジュビリーJubileeのシングルとして再発売
カバー・レコード、つまり新しい曲を同時に少数のアーティストが再録音することは、1953年のポップ・レコード産業では普通のことだった。長年にわたって、楽曲が最も大事なもので演奏者は単なる便利に使うものだというのがこの産業の行動原理だった。今は標準と位置付けられているA&R(アーティスト・アンド・レパートリー)はこの頃始まったのであり、ミッチ・ミラーMitch Millerなどはボーカル・アーティストと、たいていはティン・パン・アレーTin Pan Alleyタイプの新しいポップソングとを組み合わせることを専門的に行っていた。

Mitch MILLER - It's Miller Time! - Come on and Join the PartySongs Of Tin Pan Alley

もしポップの新曲が有望なら、すべてのメジャー・レーベルがそのレーベルのアーティストの少なくとも一人に歌わせて、その曲のベストセラーになるレースに加わる。そして、この慣行は白人だけの現象ということはほとんどなく、40年代の大物黒人ジャズ・ミュージシャンが「ハウ・ハイ・ザ・ムーンHow High The Moon」などのポップ・スタンダードを取り上げて自分のものにしたように、多くの黒人アーティストは白人のポップ・ソングもカバーした。

How High the Moon - Wikipedia

しかし、Oriolesは1953年に違うカバー・タイプを演奏した。フランキー・レインFrankie Laine、ローズマリー・クルーニーRosemary Clooneyなどは、カントリー&ウエスタン、特に悲運なハンク・ウィリアムスHank Williamsの作品をポップ・バージョンで歌ってビッグヒットにしたが、カントリー分野の曲を扱った黒人の演奏者はほとんどいなかった。

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「クライング・イン・ザ・チャペルCrying In The Chapel」は半分ロマンティックで半分霊的な素晴らしい曲で、最初小さなバレーBalleyレーベルからカントリー・アーティストのダーレン・グレンDarrell Glennがレコーディングした。

45cat - Darrell Glenn - Crying In The Chapel / Hang Up That Telephone -  Valley - USA - 105

ジュビリーJubileeのセールスマンのハイ・ワイスHy Weissは南部旅行でこの曲に気づき、レーベル・オーナーのジェリー・ブレインJerry Blaineを説得してできるだけ早くレコーディングするようにさせた。

Marv Goldberg's R&B Notebooks - OLD TOWN RECORDS

ブレインBlaineはオリオールズThe Oriolesを選び、彼らの独特の雰囲気のあるバージョンは、意外にも「ポップ」で全国トップ20位、つまり白人のトップ20に入り、グレンGlennや他のほとんどのバージョンを超え、誰もが「クライング・イン・ザ・チャペルCrying In The Chapel」をカバーした。運命の定めで、結果的には偉大なるエルビス・プレスリーElvis Presleyが「チャペルChapel」で最大のヒットとなり、1965年半ばに3位を記録した。

Elvis Presley With The Jordanaires – Crying In The Chapel (1965, Rockaway  Pressing, Vinyl) - Discogs

エルビスElvisのレコードは、単に衰退しつつあるキャリアを復活させたのに対し、約12年前のオリオールズThe Oriolesのクロスオーバー・ヒットは、リズム&ブルースのポップチャートにおける今後の爆発的登場のきっかけとなるものだった。

オリジナルのオリオールズThe Oriolesは1954年に解散したが、ソニー・ティルSonny TilはリーガルズThe Regalsという当時存在していたグループに移籍した。リーガルズThe Regalsは1956年までにビー・ジェイVee Jay レーベルに移籍し、実質的にキャリアを縮小していった。

Vee Jay Records レーベル | リリース | Discogs

ティルTilは70年代後期に至るまで様々なグループとレコ―ディングをした(彼は1981年に死亡)が、この曲は依然として彼(そしてオリオールズThe Orioles)の最高傑作のとして残っている。

 

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