『非行少年』は偉大な50年代の象徴の一つだった。「何に反抗してんだ?」という質問に「そういうお前は何なんだ?」と答えたチンピラがいた。彼はこの10年間の象徴であり、戦いの盛装であるオートバイのジャケットを着ていて、ベストセラー・アルバムのパラゴンズ・ミート・ザ・ジェスターズThe Paragons Meet The Jestersのカバーをインスパイヤーした。
ドゥーワップの中のこのチンピラ要素は見過ごしてはいけない。なぜなら、チャーツ、The Charts、ディオンとベルモンツDion & The Belmonts、エレガンツThe Elegantsがスタディオに行く途中にガソリンスタンドで強盗をはたらくかもしれないという印象を与えたからだ。この連中の暗黙の危険はレコードにしか残っていないが、このレコードを買った本物の不良とそれと同じだけの不良気取りにとって、少なからず魅力的だった。
ドゥーワップを生んだ黒人地域に隣接しているのは労働者階級で、たいていはイタリア人社会だった。そして文化がぶつかると良く起こるのだが、さらにもう一つのサブジャンルが誕生する。フォー・エーセスFour Acesのポップと黒人10代のドゥーワップの要素を1:2の割合で持った、初期フランキー・バリがリードを務めるフォー・ラバーズFour LoversやネオンズThe Neonsのようなグループが、早くも1956年にロックンロール・ヒットを出した。
メロー・キングスThe Mello-Kings、ディオンとベルモンツDion &The Belmonts、
パッションズThe Passions、エレガンツThe Elegants、
カプリスThe Capris、ミスティックスThe Mystics(全員ニューヨーク出身)、そしてスカイライナースThe Skyliners(ピッツバーグ出身)はすべて、50年代の黒人ラジオ局で放送され、黒人シアターに登場して喝さいを受けた。
60年代の『オールディーズ』リバイバルの間、新しいドゥーワップ・アーティスト達は『ホワイト・グループ』サウンドを完成させたが、微妙な多音節のバックグランドが注目された。それを実行したのはトーケンズThe Tokens、リージェンツThe Regents、
アールズThe Earls、ファイブ・ディスクスThe Five Discs、ビトーとサルテーションズVito &The Salutationsだった。
その効果は、クォーテーションズThe Quotationsの「イマジネーションImagination」やエクセレンツThe Excellentsの「コニー・アイランド・ベイビーConey Island Baby」のように、しばしば漫画っぽかった。