ブッカーTがハモンドオルガンの低域で弾くリフを中心にした地味で必要最低限のレコードが全米から注意を集めるまでは、トライアンフスThe Triumphs(実際には チップス・モマンChips Moman)によるインストゥルメンタル「バーント・ビスケッッツBurnt Biscuits」など、スタックスがその後リリースしたどのレコードも全くヒットしなかった。




そのころまでには、スタックスである変化が起きていた。「バーント・ビスケッツ」を巡って口論になり、言われていたよりも良く売れたと感じたモマンは、ジム・ストゥワートJim Stewartをあまりに怒らせてしまって解雇され、怒ってナッシュビルに去った。

ストゥワートの姉に関しては神経衰弱に陥り、何かをやめなければいけないと医者に言われ、銀行の仕事を辞めた。

「グリーン・オニオンズ」がヒットするにつれ、MG’sは奇妙な現実に直面した。


彼らはメンフィスで法律的に演奏できなくなったのだが、例え、嫌がるルイス・スタインバーグLewis Steinbergが、クロッパーの友人のダック・ダンDuck Dunnに代わっても同じだった。


彼らは北のショーで演奏したのだが、スタックス・スタディオでは人種は全く問題にならなかった。偶然かも知れないのだが、ベリー・ゴーディのヒッツビルU.S.A. Hitsville USAとは違って、ジム・ストゥワートが古い劇場に掲げたのは、ソウルスビルUSA Soulsville U.S.A.と書いてある看板だった。


ソウルを定義することはできないが、「聞けばソウルと分かる」特徴を持ち、レイ・チャールズRay Charles、サム・クックSam Cooke、ファイブ・ロイヤルズのタナー・ブラザース”5”Royales’ Tanner brothersがパイオニアで、後に有名になる若いアーティストたちが、売れはしなかったが最初に出したレコードだったのだから、クラブでは人気のある曲に違いなかった。

![Sam Cooke – The Complete Singles 1956-1962 – 3 x CD (Compilation), 2013 [r9224467] | Discogs](https://i.discogs.com/GR7CrHDItvO6x5ythRyJ0bt46R7SXzWXIZyLnEjHUxg/rs:fit/g:sm/q:90/h:600/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTkyMjQ0/NjctMTQ3Njk3MTQ4/My05NzkzLmpwZWc.jpeg)
フロリダ出身デュエットのサム&デイブSam and Daveは、地元のレーベルから曲を出していて、「アイ・ニード・ラブI Need Love」をルーレットRoulette Recordsが採用してくれた。

母親のゴスペル・グループから逃げ出してきたフォンテラ・バスFontella Bassは、ボビン・レコードBobbin recordsでレコーディングし、セントルイスのクラブで演奏していて、一方、リトル・ミルトンLittle Miltonはサン・レコードSun recordsでエルビス以前にレコーディングし、エタ・ジェイムズEtta Jamesのようにこれからチェス・レコードでブレークしようとするところだった。



エタもベテランで、もしもう少しちゃんとコンサートに出演していれば、彼女の「ストップ・ザ・ウェディングStop the Wedding」はもっとヒットしていたかもしれなかった。
![Etta James – Stop The Wedding / Street Of Tears – Vinyl (Monarch Pressing, 7", 45 RPM, Single), 1962 [r2008120] | Discogs](https://i.discogs.com/-V9Fy-bOUW7mkA-dzX5V-Zz7Wn_6l1HHik5TY0-Hk7o/rs:fit/g:sm/q:90/h:600/w:597/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTIwMDgx/MjAtMTUwNTA3NDMy/Ny02ODM5LmpwZWc.jpeg)
