また、アトランティック・レコードAtlantic Recordsでは、ポップ分野は非常に静かだった。ネスヒ・アーティガンNesuhi Ertegunは引き続き、チャールズ・ミンガスCharles Mingus、オーネット・コールマンOrnette Coleman、ジョン・コルトレーンJohn Coltraneと素晴らしいジャズ・レコードを作り続け、ジェリー・ウェクスラーJerry Wexlerはソロモン・バークSolomon Burke、ベンEキング Ben E Kingの人気を出そうと必死だったが、一方で昔のスターのコースターズThe Coasters、ドリフターズThe Driftersなどは瀕死状態であるか、ルース・ブラウンRuth Brownなどはキャリア復活を望んで他のレーベルに移籍した者もいた。








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1962年の間、ビジネスを持ちこたえ続けられるようにする方策を発見したのはアーメット・アーティガンAhmet Ertegunで、それは外国のインストゥルメンタルだった。

ミスター・アッカー・ビルクMr. Acker Bilk(そう覚えてもらうのを気に入っていた)は「白い渚のブルースStranger on the Shore」でトップになったが、この曲はイギリスのテレビ番組のためのテーマソングで、シャリュモー・クラリネットのスタイルをフィーチャーした曲だった。


また、デンマーク人ピアニストのベント・ファブリックBent Fabricは、「アレー・キャットAlley Cat」でトップテンに入っただけでなく、グラミー賞ロックンロール・レコード・オブ・ザ・イヤーを獲得した(実際はロックンロールではなかった) 。


こういったレコード入手は簡単で、レコード会社が外国の流通業者から聞いたり、イタリアのサンレモ音楽祭などヨーロッパの歌コンテストに行って、レコード使用に関してオプション付きで一回限りの安い契約を結び、(たいていはインストゥルメンタルだったが、それでも、1958年のナンバー・ワン・ヒットになったドメニコ・モデューニョDomenico Modugnoの「ボラーレNel Blue Dipinto Di Blue(Volare)」は誰でも覚えている。そして、これには一言も英語がなかった!)発売するのだ。
![Domenico Modugno – Sings Nel Blu Dipinto Di Blu (Volare) And Other Italian Favorites – Vinyl (LP, Album, Mono), 1958 [r3418696] | Discogs](https://i.discogs.com/VMHZUXPF7dFO_UR6gn1rBF_mcOrvxWwyo8e8E8z9Ams/rs:fit/g:sm/q:90/h:591/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTM0MTg2/OTYtMTYyNzE2ODk4/Ny00MjU0LmpwZWc.jpeg)
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ヒットしなければオプションは行使されず、来年の幸運を祈るのだ。この頃、このようにチャートを荒らす曲がたくさんあったように思えるが、何とかアトランティックに挑んだのは、イギリスのケニー・ボールのジャズメンKenny Ball’s JazzmenがドットDot recordsから出した「モスクワの夜は更けてMidnight in Moscow」しかなかった。


もちろん、ヨーロッパでヒットしたほとんどの曲はアメリカでは売り物にならなかったが、ビルボード誌は5月、ベルギーの14歳と15歳の子たちが、アコースティック・ギターをかき鳴らしながら自分の修道会の教祖である聖ドミニクを称える修道女のレコードを買っていると報じた。そして、フランス語やイタリア語のロックンロール・バージョンが・・・えーと、わざわざそうする必要があるのかな?
