ちょうどその翌週、デュアルズThe Dualsの ホット・ロッドをテーマにした「スティック・シフトStick Shift」、
![The Duals – Stick Shift – Vinyl (LP, Album, Mono), 1961 [r8967907] | Discogs](https://i.discogs.com/AqWq_LGWSpgWBvuCp6ftHL_nml_3Q661e5W2uSHQLV4/rs:fit/g:sm/q:90/h:567/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTQ0MDM3/NjctMTM2Mzk4MjM5/MC0yNzk1LmpwZWc.jpeg)
![The Duals – Stick Shift / Cruising – Vinyl (7", 45 RPM, Single), 1961 [r22929896] | Discogs](https://i.discogs.com/qUXrgGPt8ed2bS-DpOzHmZznzosl8kFuhjPlx3IcWVk/rs:fit/g:sm/q:90/h:600/w:600/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTIyOTI5/ODk2LTE2NTAzNzAy/MjktNjQ1NC5qcGVn.jpeg)
リージェンツThe Regentsの「バーバラ・アンBarbara Ann」、

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ベンEキング Ben E. Kingの名作「スタンド・バイ・ミーStand by Me」がすべて発売になり、メンフィスとニューヨークのイベントのせいで、暑い夏が来ると予想され、現実のものとなった。


メンフィスでは、パッキー・アクストンPacky Axtonのバンドが、ロイヤル・スペードThe Royal Spadesはあまり良い名前ではないかもしれないと考え、ジム・スチュワートJim Stewartとエステル・アクストンEstelle Axtonが借りていたスタディオで、昼夜にわたって長期間作業をした結果、マーキーズThe Mar-Keysに改名したのだった。



(アクストン夫人はマーキスMarquisを提案したが、バンドは『 q 』が嫌いだった。)彼らは、キーボード奏者のスムーチー・スミス “Smoochy” Smithがオルガンで演奏した循環リフを中心にして、インストゥルメンタルを急いで作り、何回か繰り返した後、管楽器を補強した。
![Jerry Lee "Smoochy" Smith – Love Dat Music – Cassette (), [r12775429] | Discogs](https://i.discogs.com/Yfbo_6mQfSgCQx7dR_oS2FcFhfWV8xZkUbHCQjHkRl4/rs:fit/g:sm/q:40/h:300/w:300/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTEyNzc1/NDI5LTE1NDE5NDIx/NjYtNjk2My5qcGVn.jpeg)
コーラスはなく、音楽が止まり、バンドは「あーーーーーーー!ラスト・ナイト!」と言う。
実は町で演奏していたのはこのバンドではなかった。ベイシストのダック・ダンDuck Dunnは、父親が金銭問題を抱えていたので辞めざるを得ず、友人と一緒にヘリコプターに乗せるビジネス始めた。

彼の代わりにベースを弾いたのが、数世代さかのぼるとメンフィスの名門黒人音楽一族の子孫、ルイス・スタインバーグLewis Steinbergだった。

スタインバーグは、残りのメンバーより年上だったが、サテライト・レコードSatellite Recordsとそのスタディオ周辺の状況を見て驚いた。

アクストンEstelle Axton夫人はお菓子売り場のレコード店でレコードを回転させると、子供たちが外の歩道でダンスをし、夫人は誰が何を買ったか、几帳面にノートを付けていた。
歩道で踊っている子たちが熱中できるものを作るようにパッキーに言ったのは、アクストン夫人だった。その結果出来上がったテープをダビングして地元のラジオ局に持って行ったのもアクストン夫人で、ラジオ局はそれをかけ続けた。翌日、まだ製造していないにもかかわらず、人々は彼女の店に行きレコードを求め、サテライト・レコードがプレスし発売した後、一枚ずつ、店頭で2,000枚売ったと、後になって彼女は言っている。「ラスト・ナイトLast Night」はその夏の全国的な巨大ヒットと言ってよく、アトランティックの助けもあって、200万枚売れた。


マーキーズMar-Keysは、最初はカーラ・トーマスCarla Thomasとアクストン夫人が付き添ってツアーに出たが、すぐに単独となった。

もちろんそれはマーキーズの全員白人版で、マクレモア通りのサテライト・レコードではすんなり受け入れられたが、ライブ演奏した黒人と白人のクラブではそうならず、南部を暴れ回ってエキサイティングな夏休みになった。
