この頃、音楽業界に入ってきた人のすべてが、ベリー・ゴーディBerry Gordyほど多くのことを知っていたわけではもちろんなかった。

メンフィスのサン・レコードSun Recordsのもとを離れた人はたくさんいた。


その中にジャド・フィリップスJud Phillipsがいてジャド・レコードJudd Recordsを立ち上げた。サンにおけるかつてのスタディオ・ミュージシャンのエディ・ボンドEddie Bondは、ストンパー・タイム・レコードStomper Time Recordsを始めた。


スコッティ・ムーアScotty Mooreは、エルビスが入隊する以前でも仕事がなくなり、ファーンウッド・レコードFernwood Recordsのパートナーになった。

バディ・カニンガムBuddy Cunninghamはサムのところでカントリー・レコードを数曲出し、カバー・レコードCover Recordsを始めた。
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ビル・ジャスティスBill Justisとジャック・クレメントJack Clementは1959年3月にサムが契約を切ったが、それぞれ、プレイ・ミー・レコードPlay Me Recordsとサマー・レコードSummer Recordsを始めた。


その一方で、サムは新たにフィリップス・レコーディング・スタディオPhillips Recording Studioをマディソン639番地で着工した。
また別の、以前サンにいたアーティストのレイ・ハリスRay Harrisは、サン・レコードで演奏していたインストゥルメンタル演奏者のクイントン・クラウンチQuinton Claunch、ビル・キャントレルBill Cantrellの二人と組んでハイ・レコードHi Recordsを始めた。


資金は、レコード店オーナーのジョー・クオギJoe Cuoghiと数名の経営に参加しない投資家が出し、エルビスと一緒に仕事をしたビル・ブラックBill Blackの演奏で、インストゥルメンタル・レコードをリリースし始めた。

