イギリスにおけるジャズ・ファンは1930年代まで遡り、聞いたものを真似した演奏は笑えるほどひどかったが、それでもコンサートがなくなることはなかったし、たまにはレコードを作り続けた。買うレコードの選択肢はほんのわずかしかなく、本当は誰が演奏しているかを知らない専門店が発注した輸入品だった。こうして、ルイ・アームストロングLouis Armstrongやバンク・ジョンソンBunk Johnson(コリヤーのアイドルだった)のニューオーリンズやシカゴのレコードとともに、
ビッグ・ビル・ブルーンジーBig Bill Broonzy、ジョシュ・ホワイトJosh White、
ミシシッピ・シークスthe Mississippi Sheiks、レッド・ベリーLead Bellyの録音したブルースのレコードが入ってきた。
その内容について聞こうとしても答えられる知識のある人は全くいなかった。英国音楽家組合the British Musicians’ Unionは知恵を働かせて、ほとんどの外国人演奏者のビザを認めず、特に黒人アメリカ人に対して認めなかった。シドニー・ベーチェットSidney Bechetは、1949年にパリでの一連のコンサートの後にイギリスへこっそり入り、レイトショーでハンフリー・リトルトン・バンドHumphrey Lyttleton Bandと共演した。
このバンドはロンドンのオックスフォード・ストリート100番地に100クラブthe 100Clubという拠点を持っていたが、
この晩に限ってウインター・ガーデン・シアターWinter Garden Theatreで演奏していた。
しかしこれは例外であって、イギリスのジャズ界においては、往々にして、教える方も教えられる方も良く分かっていなかった。クリス・バーバーは気にかけなかった。そうしているうちに、10代のクリス・バーバーはトロンボーンを手に取って演奏方法を覚えて、バンドからバンドを渡り歩きながら経験を積み、その間イギリスで最高のジャズ・レコードを蒐集した。