分からないのは次のことだ。メテオール・レコードは良いと、エルビスは思っていた可能性がある。サン・レコードは独り立ちを始めたばかりだが、黒人アーティストを起用してヒットを飛ばした。
彼はおそらく、カントリー演奏者を録音してくれる会社を望んでいて、メテオール・レコードはエルモア・ジェームズElmore Jamesのヒット1曲だけだったが、レコード会社の条件にぴったりだったのだろう。
ジュールズ・ビハリJules Bihariによると、人々はいつもオーディションを受けようとして、メテオール・レコードに立ち寄ったが、レナードLeonardのお眼鏡にかなうことはほとんどなかった。
ビハリの記憶では、エルビスはそのたくさんの人の中で、レナードから「サム・フィリップスのところを訪ねろ、サムなら何かしてくれるかもしれない」と言われた。もしこれが事実なら、エルビスとしてはオーディションが失敗だったと考えたかもしれないが、それでも、メンフィス・レコーディング・サービスMemphis Recording Serviceに行ったことは、実は正解だった。
レコーディングするには、フィリップスに気に入ってもらう必要はなかったのだから。しなければいけないことは、楽曲を録音するためのお金を用意することだけである。両面のアセテート・レコードには3.98ドルと税、そして、もう1ドル払うとテープのコピーも作れた。そこで彼は8月に決心し、やってみようと思った。そして、実際にやったことは分かっている。
それ以来、何が起こったか、誰がいたかについて、たくさんのことが書かれ、推測されてきたが、それが起きた時点ではほとんど重要でなかったので、インタビューを受けた二人のうちの一人だけの言葉をそのまま受け取るしかない。サム・フィリップスのビジネス・パートナーで秘書のマリオン・ケイスカーMarion Keiskerだ。
彼女は、エルビスの伝記作家ジェリー・ホプキンスJerry Hopkinsから、エルビスの1971年の本のためのインタビューを受け、土曜の午後、録音サービスを使いたい大勢の人以外には、何らかの理由で自分しかいなかったことを彼女は覚えていた。
(サムはビルの他の場所か、サンの非公式オフィスだったカフェにいたのかも知れない。)彼女はおんぼろのギターを持ったこの男の子に、「待ってもらわないといけないわね」と言い、彼は承知した。待っている間、彼女は彼とおしゃべりを始めたが、彼女の記憶によると、こうだった。
エルビスは、自分をシンガーだと言ったので、「どんなシンガーなの?」と聞いた。
「どんな音楽も歌います。」
「誰の歌に似ているの?」
「誰にも似ていません。」
それを聞いて彼女は、「ああ、よくある話ね」と思った。「ヒルビリー?」と彼女は聞いた。
「そうです。ヒルビリーを歌います。」
「ヒルビリーの中では誰の歌に似てるの?」
「誰にも似ていません。」