レナード・チェスLeonard Chessの方は、ジャッキー・ブレンストンJackie Brenstonのレコ―ディングをしただけでなく、マディ・ウォーターズMuddy Watersと契約したことが成功だったことが分かった。
確かにマディの売り上げはわずかで、ほとんど南部とシカゴに限られていたが、1月になると、「ルイジアナ・ブルースLouisiana Blues」等3曲が全国チャートに載った。
そして年末になると、チェスからリリースされたのは、ハウリン・ウルフの「ハウ・メニ・モア・イヤーズHow Many More Years」と「モーニン・アット・ミッドナイトMoanin’ at Midnight」というすごいレコードで、両面ヒットした。モーニン・アット・ミッドナイトはお化けのような演奏で、言葉のないうめき声で始まり、ハイライトとなるウルフの有名な叫びへと続く(ジミー・ロジャースJimmie Rodgersのヨーデルのような音を意図していると、後にハウリングは語っている)。
「ルイジアナ・ブルースLouisiana Blues」で、ウォーターズはニューオーリンズへ、縁結びのお守りであるモウジョウ・ハンドを買いに行く話をしている。以前はもっと洗練された都会の演奏者が占有していた縄張りは、南部の訳の分からない言葉に取って代わられたのだろうか?
えーと、違うな。特にチャールズ・ブラウンCharles Brownは、「ブラック・ナイトBlack Night」でトップになるヒットだったが、もし重苦しいにしてもハーモニーとしては洗練されていたし、アール・ボスティックEarl Bosticは、素敵なインストゥルメンタルの「フラミンゴFlamingo」で成功した。
その後はボーカル・グループが続いて現れた。それらの経過を追うのは大変なのだが、最初は鳥にちなんだ名前ばかりのようで、レイブンズThe Ravens、オリオールズThe Oriolesの後はロビンズThe Robins、カーディナルスThe Cardinals、
スワローズThe Swallows、ラークスThe Larks、クロウズThe Crowsがいて、クローバーズThe Clovers、
ムーングローズThe Moonglows、ドミノーズThe Dominoesが続き、1951年にファイブ・サテンズThe Five Satinsも登場した。