19世紀のまさに最後の年に、新たなミュージカルの形態が米国の深南部地域において、どこからともなく現れた。ブルースが考え出された場所と時間を正確に示すことは誰にもできないし、伝説上の考案者もいない。しかし、メンフィス出身のトランペット奏者でバンドリーダーのW.C.ハンディ W.C.Handyという歴史を記す人がいた。
20世紀初め、彼がミシシッピ州タットワイラーで列車を待っていた時の話は有名だ。
その時、ぼろ服の黒人の男がギターを持って彼の横に座り、ナイフの刃で弦を鳴らした。彼らの待っている列車を歌った歌詞を即興で作って、「今まで聞いたこともない風変わりな曲」を歌い始めた。
ハンディは、自分の『発見』を盛って語り、自分を『ブルースの父』として宣伝したが、ブルースは『歌手』ジャンルなど黒人のほかの伝統から進化したのであり、とりわけ、ラグタイム・テキサス”Ragtime Texas”のヘンリー・トーマスHenry Thomas、ミシシッピ・ジョン・ハートMississippi John Hurt、マンス・リップスコーンMance Lipscombなどの作品に生き残っていて、「フランキー&ジョニーFrankie and Johnny」、「スタコリーStackolee」、「タイタニックThe Titanic」などの黒人バラードに影響を与えた。
実は、ブルースは新しく、書きやすいのだ。標準的な形は、最初の2行を繰り返し、それから3行目で詩をまとめるのだ。「今朝起きると私の寝床はブルースだらけ/今朝起きると私の寝床はブルースだらけ/今まで聞いた中で最低のブルースだ」。物語構成のブルースもあり、一行一行、話が展開していくのだが、たいていは失恋の話だ。単に引用しただけのような『間に合わせの詩』でできたブルースもあり、その場合、物語で始まったブルースが、ムードに合った間に合わせの詩に移ったりする。どちらの場合も、ブルースという形式は、詩の行間に空白があり、この空白で楽器演奏者は挿入句を演奏し、詩の節の間の空白では、より長いソロ演奏ができるという利点がある。
ブルースはたいていギターの伴奏で始まり、シアーズ・ローバック&カンパニーSears, Roebuck & Companyやモンゴメリー・ウォードMontgomery Wardのような通信販売業者が、地方に販路を拓くにつれ、ギターを手に入れることができるようになったが、ブルースの形態がピアノにも合うようなるとブルースは都市にも広がり、そこでは、ほとんど女性ばかりのブルース・シンガーが、黒人のボードビル舞台に立つことになった。
ガートルード・マ・レイニーGertrude “Ma” Raineyは最初に名を成し、黒人のトップ巡業団、ラビット・フット・ミンストレルスThe Rabbit Foot Minstrelsの中心的存在になって、若手のシンガーへ多大の影響力を及ぼした。
都会のブルースの隆盛は、ジャズと呼ばれるようになる音楽の隆盛と並行し、ある程度は統合された。ジャズは間違いなく人気のある音楽だったに違いはなく、当時のほかのどの音楽よりはるかに人気があったが、ここではジャズを他の音楽形式の構成要素としてのみ関心を払う。ジャズについてよく知っている者の多くは、1920年代にブルースを歌う女性をジャズ・ミュージシャンと考え、地方のブルース演奏者を無視したり軽視していることは注目に値する。しかし、ブルースのハーモニー構造はそもそもの始まりからジャズとともにあったし、ブルースではない歌の中に力強い言葉がはっきりと使われていた。代表例を挙げれば、W.C.ハンディ W. C.Handyの「セントルイス・ブルースSt.Louis Blues」があり、ブルースという形式ではないが、力強い言葉が使われている。