1958年、デイトナ・ビーチ市は、デイトナ・ビーチ・ピアーthe Daytona Beach Pier(30年代から40年代にかけてのビッグバンド・サウンドの時代にさかのぼる有名なダンスホール)で、10代若者のために土曜夜のロックンロール・ダンスを主催し、WROD放送局の地元ラジオ・ディージェイ(ボブ・ボスBob Voss)が夜11時までレコードをかけていた。
ここは、50年代にデイトナ・ビーチに住んでいたすべてのティーンエイジャーの中心的なたまり場だった。ダンスの最後にはいつも商品をもらえる抽選があり、私はトミー・エドワーズTommy Edwardsの1958年のアルバム『All In the Game』を当てた。当時の私はとても恥ずかしがり屋で、その夜賞品を受け取る時、みんなの視線が私に注がれていることが分かった。
1959年、私は展示用自動車を作らなければならなかった(カリフォルニアだけが展示用自動車の州ではなかった)。私の車は1954年型フォードに1955年型シボレーのエンジンを載せ替え、キャンディ・アップルの赤いペンキを30回塗ったものだった。
ダッシュボードの下には、かなり大きいスライド式メタルボックス(1950年製ナッシュ)があり、中には45回転のレコードプレーヤーが入っていた。今では、WLACラジオ局から流れるロックンロールを聴きながら町中をドライブする代わりに、車の中でロックンロールのレコードをかけていた。
そのレコードプレーヤーで私のお気に入りのレコードは、ボビー・ダーリンBobby Darinの「ビヨンド・ザ・シーBeyond the Sea」、
マーブ・ジョンソンMarv Johnsonの「ユー・ゴット・ホワット・イット・テイクスYou Got What It Takes」、
エバリー・ブラザーズThe Everly Brothers「キャシーズ・クラウンCathy’s Clown」、
デルズThe Dellsの「オー・ホワット・ア・ナイトOh What A Night」、
ディオン&ベルモンツDion and The Belmontsの「恋するティーンエイジャーTeenager In Love」、
ロイド・プライスLloyd Priceの「パーソナリティPersonality」だった。