第15章
ロックンロール誕生期における青春の思い出
「ディア・ミスター・ディージェイ・プレイ・イット・アゲインDear Mr. Deejay Play it Again」
ティナ・ロビンTina Robin
ロックンロール誕生の頃、私は14歳だった。ロングアイランドに住んでいた私は、毎晩毛布の下にラジオを置いてベッドに入り(ジェネレーション・ギャップの章参照)、ニューヨークから放送されるアラン・フリードAlan Freedのロックンロール・ラジオ番組を聴いていた。
ロックンロールが生まれたあの2晩、私はフリードのラジオ番組を聴いていた。1955年当時の夜、私の寝室の窓からアラン・フリードが流れてきたのだが、それを聴かせてくれた、カーラジオを鳴らしながら聴いていた10代の少年たちや、隣家にいた10代の女の子に感謝しなければならない。
ロックンロールのレコードを聴いた最初の記憶は、1955年の初めに友人宅で、ファイブ・キーズThe Five Keysの「クローズ・ユア・アイズClose Your Eyes」(チャック・ウィリスChuck Willis作)、
ハーツThe Heartsの「ロンリー・ナイツLonely Nights」、
トレニアーズThe Treniers「ゲット・アウト・オブ・ザ・カーGet Out Of the Car」などのリズム&ブルースをかけてくれたことだった。
1954年から1955年にかけて、私は毎晩『アラン・フリード・ショーThe Alan Freed Show』を聴いてから眠りに落ちた。
彼は出演アーティストとともに、イースターやその他の特別な祝日に行われるロックンロール記念ショーについて、語っていた。フリードのショーについては、私が住んでいたロングアイランドにあるコミュニティのお兄さんたちからよく聞いた。フリードのショーに入るのを待つ子供たちの長い列についていつも話していた。1955年当時、私はまだ14歳と若かったので、ニューヨークに行くことを両親が許してくれなかった。
ある日学校で、外は雨が降っていたので体育館でバスを待ちながら、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツのレコード「ロック・アラウンド・ザ・クロックRock Around the Clock」に合わせて年上の子たちがガールフレンドと踊っているのを見ていたのを覚えている。
1955年のロングアイランドについて私が覚えているのは、年上の子たちがロックンロール・ミュージックに夢中になっている一方で、私と同じ年頃の子供たちはリトル・リーグで野球をしたり、自転車に乗ったりしていたということだ。