クレスツが「シックスティーン・キャンドルズ16 Candles」という曲で大成功を収めると、コード・レコードはニューヨーク周辺の白人ティーンエイジャーに再び注目されるようになった。
1958年から1960年にかけて、彼らはビルボードで5曲のヒットを放った。「シックスティーン・キャンドルズ」はチャート2位、「シックス・ナイツ・ア・ウィークSix Nights A Week」はチャート28位、「ジ・エンジェルズ・リッスンドゥ・インThe Angels Listened In」はチャート22位、
「ステップ・バイ・ステップStep By Step」はチャート14位、「トラブル・イン・パラダイスTrouble In Paradise」はチャート20位だった。
1961年、ジョニー・マエストロはクレスツなしで、自身名義による5枚のレコードをリリースした。彼のバックはデル・サティンズThe Del Satinsというドゥーワップ・グループだった。曲は良かったが、どれもチャートインには至らなかった。そのうちの一つが名曲「ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイトThe Way You Look Tonight」だった。
ジョニーは1969年にブルックリン・ブリッジThe Brooklyn Bridgeという別のグループを結成し、「ザ・ワースト・ザット・クッド・ハップンThe Worst That Could Happen」というビルボード3位を記録するヒットを飛ばした。
クレスツは、史上最も過小評価されているドゥーワップ・グループのひとつに違いない。彼らはまさにロックンロールの誕生の時に現れたのだ。
ジョニー・マエストロの歌声は、プラターズThe Plattersのトニー・ウィリアムスTony WilliamsやハープトーンズThe Harptonesのウィリー・ウィンフィールドWillie Winfieldに並ぶ。
彼らは50年代と60年代の傑出したドゥーワップ・グループだ。ジョニー・マエストロは2010年に亡くなった。ジョニー・マエストロ&クレスツは、クラシカル・ドゥーワップ・グループとしてロックの殿堂入りに値すると考えられている。彼らはクラシカル時代にレコーディングしている。