トニー・ウィリアムス&プラターズTony Williams and The Platters(1928~1994)ニュージャージー州エリザベス出身
プラターズは、ロックンロール誕生期に最も成功したドゥーワップ・グループである。プラターズは、50年代半ばの白人ポップ・チャートに黒人グループをランクインさせるのに貢献した。彼らの最大の財産は、リード・シンガー、トニー・ウィリアムズの甘いテノールの才能と、マネージャーのバック・ラムBuck Ramの曲作りにあった。
グループは1952年にスタートし、フェデラル・レコードFederal Recordsでレコーディングを開始した。プラターズは2枚のレコードをリリースしたが、期待できるものではなかったため、バック・ラムに援助と助言を求めた。バック・ラムのマネージメントの下、彼らは8枚のレコードをリリースし、1954年後半には14歳の女性ゾーラ・テイラーZola Taylorを加えるなど、何人かのメンバー入れ替えを実施した。
ゾーラはプラターズのメンバーのガールフレンドで、シャーリー・ガンター&クイーンズShirley Gunter and The Queensのバックで歌っていた。
ラムはプラターズをメジャー・レコード・レーベル向けに仕込むのに2年近くかかった。
1955年、ラムは彼がマネージメントしていた別のドゥーワップ・グループで、ビッグ・ヒットの「アース・エンジェルEarth Angel」を放っていたペンギンズThe Penguins(後に、マイナー・ヒットが数曲しかなかったため、マーキュリーから契約を打ち切られた)をマーキュリー・レコードに売り込んだ。
マーキュリー・レコードはペンギンズとの契約を熱望していたが、ラムはプラターズの抱き合わせに固執した。マーキュリーはペンギンズを獲得するためには、プラターズも獲得しなければならない。マーキュリーはしぶしぶ承諾したが、それが皮肉な運命のいたずらとなる(プラターズはマーキュリーの金鉱となる)。
プラターズがマーキュリーから初めて出したレコードは、1955年の「オンリー・ユーOnly You」で、バック・ラムが書いて、さらに磨きをかけた。
この曲は発売後数週間で白人のポップ・チャート5位を記録した。1955年に白人(ヒル・トッパーズThe Hilltoppers)がカバー・レコードを出したが、それを上回る売り上げとチャートを記録した最初のドゥーワップ・レコードとなった。