チャールズはABCレコードにカントリー・アルバムの制作を持ちかけた(ABCは彼のことをクレイジーだと思った)。
その結果、彼のリズム&ブルースのキャリアは危うくなった。チャールズは1962年に2枚のアルバム『モダン・サウンズ・イン・カントリー・アンド・ウエスタン・ミュージックModern Sounds in Country and Western music』と『モダン・サウンズ・イン・カントリー・アンド・ウエスタン・ミュージック(パート2)Modern Sounds in Country and Western music (part 2)』をリリースした。
このアルバムはチャートのトップに躍り出た。愛さずにはいられないI Can’t Stop Loving You」が1位、「ユー・ドント・ノー・ミーYou Don’t Know Me」が1位、「ユー・アー・マイ・サンシャインYou Are My Sunshine」が9位になった。
もう少し挙げると、「ハーフ・アズ・マッチHalf As Much」、「ボーン・トゥ・ルーズBorn To Lose」、「ユー・ウィン・アゲインYou Win Again」、
「ヘイ・グッド・ルッキンHey Good Lookin’」、「アイ・ラブ・ユー・ソー・マッチ・イット・ハートI Love You So Much It Hurts」などだ。
チャールズは1963年にもう2回チャートインし、「バスティッドBusted」はチャート4位、「アンチェイン・マイ・ハートUnchain My Heart」はチャート8位を記録した。
レコード業界ではかつてないことだが、レイはABCに自分のマスター・テープをすべて引き渡させた。
ジョージア州は「我が心のジョージアGeorgia On My Mind」を州歌とすることになる。
長い音楽キャリアを成功させた後、チャールズは2007年に74歳で亡くなった。彼は2度結婚し、9人の女性との間に12人の子供をもうけた。そのうち10人に100万ドルを与えた。
チャールズはロックの殿堂と、ソングライターの殿堂入りしている。ロックンロール誕生における初期のパイオニアたちと同列に扱わないわけにはいかない。