レイのアトランティックでの最初の作曲は「アイ・ゴット・ア・ウーマンI Got a Woman」で、1955年にリズム&ブルースで初の1位を獲得した。
レイは古い黒人ゴスペル・ソング「イット・マスト・ビー・ジーザスIt Must Be Jesus」を取り上げ、「アイ・ゴット・ア・ウーマン」として純粋なリズム&ブルースに仕上げた。
彼のリズム&ブルースの曲は、黒人クリスチャン・コミュニティ全体に影響を及ぼすことになる。エルビス・プレスリーは1956年にRCAから「アイ・ゴット・ア・ウーマン」をレコーディングする。
レイは1958年までリズム&ブルースのヒットを出し続ける。それは、 「ディス・リトル・ガール・オブ・マインThis Little Girl Of Mine」(チャールズ作)、「ダウン・イン・マイ・オウン・ティアーズDown In My Own Tears」、「ロンリー・アベニューLonely Avenue」、
「ア・フール・フォー・ユーA Fool For You」(チャールズ作)、「ナイト・タイムNight Time (Is the Right Time)」などだ。
レイは1959年、自作の「ホワッド・アイ・セイWhat’d I Say」(パート1とパート2)で再び大ヒットを記録し、ビルボード6位を獲得した。
チャールズは今や引っ張りだこで、ABCパラマウント ABC Paramountは1959年に契約金50,000ドルを提示した。ABCでの最初のヒットは「我が心のジョージアGeorgia on My Mind」で、1960年にビルボード1位を獲得。
続く「旅立てジャックHit the Road Jack」は1961年にビルボード1位を獲得。同じく1961年に「アンチェイン・マイ・ハートUnchain My Heart」が9位を記録した。