3-24.ハッシャバイHushabye-ミスティックスThe Mystics(ドク・ポーマスDoc Pomus、モルト・シューマンMort Shuman)
59年4月ローリーLaurieのシングルとして発売:ポップ20位
50年代初め、ベンソンハーストは、テレビ番組のラルフとアリスのクランデン夫妻Ralph and Alice Kramdenが住んで有名な区域の一つになったが、現実世界で、この地域は成功したボーカル・グループを輩出したことで知られるようになり、その中にミスティックスThe Mystics(そしてパッションズThe Passions)が最も有名だ。
ベイ・パークウェイに近いケリーのビリヤード場の中や周辺で結成されたミスティックスは、当時自分たちをオベロンズOveronsと呼び、1959年にローリー・レーベルLaurie labelと契約した。
自分たちのオリジナル曲を持っておらず、有名なソングライターのドク・ポーマスDoc Pomusとモルト・シューマンMort Shumanが書いた新曲をレコーディングする準備をしていた。
その経緯は、レーベルのオーナーが「ア・ティーネージャー・イン・ラブA Teenager In Love」は無名のグループのためには良すぎるので、代わりにディオンとベルモンツDion & The Belmontsに与え、同じレーベルから出したところすぐにビッグ・ヒットになった、というものだった。
新しい名前になったミスティックス(この名前は手品のように持ってこられた)をなだめるためにローリーは、ポーマスとシューマンに大急ぎでグループのために別の曲を書くように依頼した。二人はそのとおりにし、才能のあるアーティストにはよくあることだが、別のヒット曲、「ハッシャバイ」を作り上げた。滑らかなハーモニーとバックの高いファルセットのおかげで完璧なティーネージ・ヒットになった。
結果として生じるシナリオはあまりにありきたりのもので、引き続いて数多くの曲(第二次世界大戦の曲の「ホワイト・クリフス・オブ・ドーバーWhite Cliffs Of Dover」の感情的な改作など)をレコーディングし、そのどれも「ハッシャバイ」ほどの成功はしなかった。
結局シンガーたちは分かれて行った。トリビア好きの人にとって興味があるのは、若きポール・サイモンPaul Simonを、1960年にローリーがリリースした曲の一つにリード・シンガーとして起用したことだ。
グループは、1982年にマーティー・ペカーのアンビアント・サウンド・レーベルAmbient Sound labelのアルバムのために再結成した。