3-7.フォー・ユア・プレシャス・ラブFor Your Precious Love-ジェリー・バトラーとインプレッションズJerry Butler & The Impressions(アーサー・ブルークスArthur Brooks、リチャード・ブルークスRichard Brooks、ジェリー・バトラーJerry Butler)
58年5月ビー・ジェイVee-Jayのシングルとして発売、58年5月ファルコン/アブナーFalcon Abnerのシングルとして再発売:R&B3位、ポップ11位。61年8月ビー・ジェイのシングルとして再発売
ゴスペルはR&Bボーカル・グループの初期において重要な要素であり、60年代にソウル・ミュージックと呼ばれるものの重要な原動力の一つとしてリバイバルされた。「フォー・ユア・プレシャス・ラブFor Your Precious Love」は、素晴らしいパワーとフィーリングのある曲で、ゴスペルを利用した最初のアーティストの一つだ。このグループは1957年にシカゴで結成され、リード・シンガーのジェリー・バトラーをフィーチャーしたが、彼はこのレコーディングの直後にグループを出て、長い間ソロのキャリアを歩んで成功した。バトラーはバスが盛り込まれたこのレコードで、積極的かつ厳粛に歌ったが、もしこのグループに関与していたらどんな素晴らしいものが生まれたかと思う。
インプレッションズは、もちろん、引き続いて60年代、70年代にわたって輝かしいキャリアを持ち続け、そのリーダーはルネサンス的教養人のカーティス・メイフィールドCurtis Mayfield(バトラーとは、二人が10代の時に近所の友達同士だった)で、とりわけ、「イッツ・オール・ライトIt’s All Right」、「ピープル・ゲット・レディPeople Get Ready」、「ジプシー・ウーマンGypsy Woman」がヒットした。
メイフィールドは、映画など手に染めたものはすべてクリエイティブで、1972年に「スーパーフライSuperfly」や「フレディーズ・デッドFreddie’s Dead」のサウンドトラックにおいて自身の名前で参加し、成功したが、その頃バトラーのヒット・キャリアは下降し始めていた。
ビー・ジェイVee Jayは、当時、黒人が所有する数少ない成功したレコード・レーベルの一つだが、大半の時間を組織的なカオスの中でもがいていたようで、それは発行の経緯を見れば見当がつくだろう。