ザ・ドゥーワップ・ボックス Ⅰー72

2-11.ア・サウザンド・マイルズ・アウェイA Thousand Miles Away-ハートビーツThe Heartbeats(ジェームス・シェパードJames Shepard、ウィリアム・ミラーWilliam Miller)

The Heartbeats / ハートビーツ「A Thousand Miles Away / ア・サウザンド・マイルズ・アウェイ」 | Warner  Music Japan

56年9月ハルHullのシングルとして発売、56年11月ラマRamaのシングルとして再発売:R&B5位、ポップ53位、60年10月再発売:ポップ96位

FROM THE VAULTS: James "Shep" Sheppard born 24 September 1935

ジェームズ・シェプ・シェパードJames “Shep” Sheppardは、数多くの点で普通ではなく、とりわけ重要なのは、すぐに彼だと分かる非常に滑らかな声だ。

Shep and the Limelites - Alchetron, The Free Social Encyclopedia

素晴らしいソングライターである(おそらくすべての曲をバスタブで書いたと考えられている)彼は、頑固な人で、その自尊心がキャリアの障害になったことも時々あった。彼のグループのハートビーツは1955年にハイスクールで結成され、ニューヨークの小さなレーベルから単独でリリースした(そしてうまく行かなかった)あと、ニューヨークのハル・レコードHull Recordsと契約し、そこから素晴らしいシングルを4枚制作した。ハルは女性が最高経営責任者になった(40年代後半と50年代前半にアポロのベス・バーマンBess Bermanがたぶん最初だった)数少ないレーベルの一つで、オーナーのビー・カスリンBea Kaslinが賢明だったのは、男性優位の荒っぽい業界の中で彼女を援助するために、ベテランの音楽専門家のウィリアム・ミラーWilliam Millerとビリー・ドーンBilly Dawnを雇ったことだった。

Marv Goldberg's R&B Notebooks - THE LARKS

グループはイースト・コーストにおいて最初の数枚のシングルでファンを作った後、「オー・ベイビー・ドントOh Baby Don’t 」をA面にして宣伝し、4枚目のシングルとしてリリースしたところ、ファン・クラブがDJに電話してレコードをひっくり返し、B面の「ア・サウザンド・マイルズ・アウェイ」をかけるように要望した。

THE HEARTBEATS / A THOUSAND MILES AWAY / OH BABY DON'T / 7" / | RECORD SHOP  VIEW

DJ達がそうすると、レコードは売れ始めた。春の事業規模は小さく、カスリンはシェパードと著作権支払いに関し大々的に言い争った後、原盤と全国流通事業契約権の両方をジョージ・ゴールドナーGeorge Goldnerのラマ/ジーRama/Geeに売却してしまった。この曲はラマ・レーベルで、ポップとR&Bの両チャートに入り、やがてヒットしていった。

George Goldner | ArtistInfo
ハートビーツは1957-58年にラマから素晴らしいシングル・レコードをたくさん出し、「エブリバディズ・サマバディズ・フールEverybody’s Somebody’s Fool」はマイナー・ヒットになったが、時が経つにつれてシェパードはグループからどんどん離れて行った。「ア・サウザンド・マイルズ・アウェイ」の途中で彼が寝てしまうという悪名高きコンサートの後に、グループは解散した。彼はシェプ・アンド・ライムライツShep & The Limelitesを結成したが、その話はこの解説の後の方で話す。

Shep and the Limelites - Daddy's Home - YouTube

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です