1-20.オンリー・ユーOnly You(And You Alone)-プラターズThe Platters(バック・ラムBuck Ram、アンド・ランドAnde Rand)
55年4月26日録音。55年5月マーキュリーのシングル発売:R&B1位、ポップ5位
経営層に優秀な人を入れなかったからと言って、レコード産業を非難した人はいなかったのだから、元々プラターズを遠慮したい人も許されるだろう。しかし、同社のミスジャッジはドゥーワップ伝説の一部になった。
バンド・アレンジャーのバック・ラムは1954年に、二つのボーカル・グループのマネージャーで、ペンギンズthe Penguinsはドゥートーン・レコードdootone recrodsから「アース・エンジェルEarth Angel」で大成功し、プラターズはありきたりに聞こえるR&Bグループで、フェデラル・レーベルFederal labelから少しシングルをリリースしたがうまく行かなかった。
マーキュリーは当時、6大レーベルの一つで、ペンギンズをR&Bの一員に入れて増強したかったのだが、R&B陣で最も有名だったのは女性歌手のダイナ・ワシントンDinah Washingtonだった。
しかし、ラムには別の考えがあり、プラターズを引き受けてくれるのであればペンギンズ(ドゥートーンをすぐに去る準備が整っていた)を渡しても良いとマーキュリーに言った。マーキュリーは判断に迷ったが、最終的には嫌々従った。
その後はどうなったと思う?ペンギンズはマーキュリーでレコーディングしたが全くヒットせず、一方でプラターズは1950年代に最も成功したボーカル・グループになったとだけ言っておきましょう。「オンリー・ユー」はマーキュリーでの最初のレコードで、軌道に乗るまでに数か月かかったものの、最終的にポップとR&Bの両チャートで最上位まで行って、トニー・ウイリアムスTony Williamsはこの時代の最も人気のあるクルーナーの一人として確立した。
不思議なことに、以前、フェデラルでこの曲をレコーディングしたバージョンはヒットせず、今回は、女性ボーカリストのゾラ・テイラーZola Taylorを追加して増強(そしてソフトに)したことと、ラム自身が一回だけピアノの演奏能力を使ったことによって、うまく行った。
マーキュリーはポップ・グループとして売り込めることのできる黒人アーティストを抱え、アメリカの白人たちはリビング・ルームで黒人が演奏するのを聞いていた。もうすぐ何が起こるかをほとんど知らなかった。