ザ・ドゥーワップ・ボックス Ⅰー55

1-18.カム・バック・マイ・ラブ(Will You)Come Back My Love-レンズThe Wrens(ボビー・マンスフィールドBobby Mansfield)

Amazon.co.jp: Come Back My Love : The Wrens: デジタルミュージック

54年11月21日録音、55年2月ラマRamaのシングルとして発売

The Wrens – Come Back My Love / Beggin' for Love (1955, Shellac) - Discogs

1956年に始まったジョージ・ゴールドナーGeorge Goldnerのリリースで現れた制作価値の変化が、誰のおかげによるものかは正確には分からないが、もしかするとセッション・ミュージシャンのジミー・ライトJimmy Wrightか、ひょっとしたらリチャード・バレットRichard Barrettか、あるいはゴールドナー自身でさえあるかも知れない。

George Goldner | ArtistInfo

しかし50年代半ばに、ティーネージャーズThe TeenagersとクレフトーンズThe CleftonesがゴールドナーのラマRamaとジーGeeのレーベルの大黒柱になる前は、彼がリリースしたボーカル・グループのレコードは控えめに言っても洗練されていなかった。

Amazon.co.jp: Feat. Frankie Lymon: ミュージックThe Rama Records Story - Rate Your Music

The Cleftones - WikipediaThe Cleftones - Little Girl Of Mine / You're Driving Me Mad – NIGHT BEAT  RECORDS

一つの例外はレンズの「カム・バック・マイ・ラブCome Back My Love」という1954年の素晴らしいレコードだ。ゴールドナーが契約した最初のR&Bボーカル・グループの一つであるレンズは、典型的なやり方で地元のコミュニティー・センターで集い、結果としてゴールドナーのオーディションを勝ち取った。「カム・バック・マイ・ラブ」はリードシンガーのボビー・マンスフィールドBobby Mansfieldが、オーディション・ルームの外の廊下の壁で曲の一部を書き上げた。

September 15, 2013 – Singer Bobby Mansfield died at age 76 in NYC. – On  This Day Music

彼らの以前の(そしてその後の)レコードはアマチュアとしての状況を物語っているが、「カム・バック・マイ・ラブ」は彼らを団結させた。最大の不思議は、この曲が基本的にすごい力を持っていたのに、R&B市場でヒットしなかったことで、当時リズム&ブルースの最大のレーベルだったアトランティックでさえ、カーディナルスThe Cardinalsの素晴らしいバージョンをヒットさせられなかったことだ。現代では両バージョンはR&Bのクラシック(もちろんレンズのものがオリジナル)だが、リリースした当時はどちらもチャート入りせず、レンズのキャリアはこの後急速に下降した。

1987年、ムレイ・ヒル・レコードMurray Hill Recordsが、レンズの曲の最初のコンピレーション・アルバムを編集した時、グループは25年ぶりに再結成した。彼らはその間ずっとハーレムの比較的近くで住んでいて、再会——―みんなの話では涙一杯だった――はうまく行った。グループは、多くの開催地のコンサートに登場し、おそらく、ティーネージャーの時よりも高く、その真価を評価された。ドゥーワップのハッピー・エンド(それは悲惨なほどわずかしかない)のうちの一つだ。