1-7.ゴールデン・ティアドロップスGolden Teardrops-フラミンゴスThe Flamingos(ジョン・カーターJohn Carter)
53年10月チャンスのシングルとして発売、61年4月ビー・ジェイVee-Jayのシングルとして再発売
『スムースの皇帝』であるフラミンゴスThe FlamingosはR&B史上最高のボーカル・グループである、という一文を誇らしげに支持するリズム&ブルース愛好者はたくさんいる。これに異議を差し挟むことは難しい。フラミンゴスは息の長いレコーディング経歴を持つR&Bボーカル・グループの一つで、1953年のシカゴのチャンス・レーベルChance labelから始めて、70年代まで続けた。
元々はファイブ・フラミンゴスThe Five Flamingosというこのグループは、噂によると、チャンスのオーナーのアート・シェリダンArt Sheridanが地方のクラブで演奏しているところを見い出すまで、丸1年練習していたとのことだ。
フラミンゴスはチャンス・レーベルと契約して、二つの強力なグループを提供した(もう一つはムーングロウズThe Moonglowsで、それについては後ほど詳しく)。
二組の従兄から成り、歌はヘブライ人として育った中で経験し、パロット・レーベルThe Parrot labelに飛び込んで1954-55年に少しリリースした後、伝説のチェス/チェッカーChess/Checker labelに移って次の2年間を過ごした。
チェスでは、ネート・ネルソンNate Nelsonをリードとしてフィーチャーし、もう1曲のR&Bビッグ・ヒット――「アイル・ビー・ホームI’ll Be Home」を出した。
ソリー・マケロイSollie McElroyの高く伸びたバックのファルセットとエコーの見事な使用によって、ロックンロールより前の時代にあって、この曲が一層独特の雰囲気のあるになった。
「ゴールデン・ティアドロップスGolden Teardrops」は53年後半にフラミンゴスの3枚目のシングルとしてリリースされたときに流行したが、ロックンロールのレコード・コレクターが持てて誰もが最も欲しがるシングルの一つとして、たぶんさらに名声を獲得した。レコード収集の現象は全体として、ドゥーワップに当てはまり(そこから始まったが)この小冊子の他でも扱っているが、チャンス・レーベルのほとんどすべてのレコードは、初期フラミンゴス(1953-1956年)のレコードと同様に、今日ではかなり高価になっていると言えば十分だろう。