最初に認識されたドゥーワップ・グループはだいたいバルティモアのオリオールズOriolesと考えられていて、アマチュアぽいが素晴らしいグループだ。
しかし、アマチュアリズムはこのジャンルにとって必須要素では必ずしもない。このスタイルを実践しているかなりの数は、本物のリハーサル・ホールで本物のミュージシャンと一緒に練習している本格的なプロだ(あるいは、ある場合には、彼ら自身がミュージシャンだ)。この例に当てはまるのが、ムーングロウズThe Moonglows、フラミンゴーズFlamingos、リトル・アンソニーとインペリアルズLittle Anthony &The Imperialsで、そのすべてが素晴らしい黒人ボードビル流派の出身で、ブロンクスにある褐色砂岩でできたアパートの建物の玄関口というよりは、劇場の舞台前部という環境にいた。
多くのボーカル・グループの歌が『エンターテインメント』カテゴリーに入るが、苦労してムーングローズThe Moonglowsの「テン・コマンドメンツ・オブ・ラブTen Commandments Of Love」よりも音がきれいなレコーディングにしたり、フラミンゴスThe Flamingosの「瞳は君ゆえにI Only Have Eyes For You」と同じくらい独創的なものにした。
実際に別物に進化した曲の例が「グローリアGloria」で、もともとはレオン・リーンLeon Reneが書いて、1948年にチャールズ・ブラウンCharles Brownが最初に、そしてその直後にドゥーワップ・グループでないミルス・ブラザースThe Mills Brothersがレコーディングした。
キャデラックスが覚えているこの曲に自分たちのボーカル・コードを配置したが、それによって、他のストリート・コーナー・グループが自分たちを評価する基準となった。
もしサブジャンルが無ければ、ジャンルはどうなるのだろう?ジャンルに十分な余裕があれば、サブジャンルは『子供のリード』によるレコードとして知られるようになる。大成功を収めた最初のサブジャンルは、ティーネージャーズのフランキー・ライモンFrankie Lymon of The Teenagersで、これにかなうものがなく、忘れられない。
ニューヨークのワシントンハイツは、世界のスティービー・ワンダーズthe Stevie Wondersやマイケル・ジャクソンMichael Jacksonでさえ超えることができなかった。もしフランキーがいなかったならば、ロニー・スペクターRonnie Spectorは生まれなかっただろう。
素晴らしいレコードとそれを作ったグループは他に、スチューデンスThe Studentsの「アイム・ソー・ヤングI’m So Young」、上述のスクールボーイズThe Schoolboysの「プリーズ・セイ・ユー・ウォント・ミーPlease Say You Want Me」、フランキーの兄弟のルイスと彼のティーンコーズLewis and his Teenchordsの「アイム・ソー・ハッピーI’m So Happy」があった。