大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝 パート1 第4夜
第4回 2012年3月29日放送
(放送内容)
大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝 、本日はその4回目でございまして、まだまだ続くサン・レコード時代ということですけれども、いよいよエルビスは演奏活動に出ます。

そのライブの模様、そしてサン・レコードの最後、そして、RCAのデビューと、そのあたりが本日の内容でございます。


この2枚目のグッド・ルッキン・トゥナイト、それから3枚目のメイク・ア・ブルース・ブギ、このシングルをレコーディングしている間、7月ぐらいからですね、えー、ライブ演奏活動をエルビスは初めてるんですね。で、エルビスとギターのスコッティ―・ムーアとベースのビル・ブラック、この3人で、全米と言っても南部中心ですけどもライブ活動を始めたわけです。

で、何と言っても小さな町で、何度ライブ演奏しても、そんなに宣伝効果にはならないわけですね。あのー、ラジオで放送されるというのが、やはり大きいわけです。で、この一帯でラジオ放送もあって、一番大きな催しものというと、グランド・オロ・オープリ―Grand Ole Opryというナッシュビルで行われる、あれがあるわけですけども、このエルビス、スコッティ―、ビル・ブラックスも出たんですね、グランド・オロ・オープリ―に。


えー、出たんですけども、これが不合格だったということなんですね。で、もう一つ、グランド・オロ・オープリ―に対抗するといいますか、ルイジアナ・ヘイライドという催し物があるんです。
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これがラジオ放送もあるんですね。で、これは合格しました。で、54年の10月16日ですね、ルイジアナ・ヘイ・ライド、ここに初めて登場しますが、この初めて登場した時の録音が残っております。
That’s All Right(live) / Elvis Presley
えーもう、すごい人気ですね。ルイジアナ・ヘイ・ライドでのエルビスのライブ・録音を聞いていただきました。えー、チャートはされなかったんですけども、若者には熱狂的な支持を受けていたという感じが、このライブ放送で分かると思いますね。で、あの、次、4枚目のシングルを選ぶんですけども、で、1955年になりまして、2月に4枚目のシングルをレコーディングすることになるんですけど、選ばれたのは、ちょうどこのころヒットしていたアーサー・ガンターのベイビー・レッツ・プレイ・ハウスという曲でした。まずはオリジナルから。
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Baby Let’s Play House / Arthur Gunter
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えー、エルビスはオリジナルとは全く違ってですね、特徴的な言葉を繰り返して、この曲をカバーしました。

Baby Let’s Play House/ Elvis Presley
えー、ベイビー・レッツ・プレイ・ハウスでした。これは、フィード・バック・エコーが効果的に使われてますね。
しかし、この、ベイビー・ベイビー・ベイビー・ベイビーのこの連呼ですね。これはのちにロックンロールの常套句となるわけですけども、これ、アメリカンポップス史上、こんなにベイビー・ベイビーをあの繰り返した曲は、以前になかったと思いますね。で、ベイビー・ベイビー・ベイビーというようなんで、全世界的に、日本でも清志郎君がベイベーと歌ってましたけど、これはもう、後のロックンローラーは全部、このベイビーを使ったものでございます。で、アーサー・ガンターにはこのベイビー・ベイビーのリピートは無いんですよね。これはエルビスの素晴らしい着眼点であり、まあ、加工であり、カバーであり、まあ、ある種の作曲と言ってもいいでしょうね。えー、ここでもまたロックンロールの名曲と、このベイビー・レッツ・プレイ・ハウスはなったのでございます。さて、こうしてる間にも例のライブのルイジアナ・ヘイライドにジャンジャン出るようになりました。で、そこの演奏を聴いていただきたいんですけど、もちろん人気もすごいんですけれども、歌い方も徐々に変化していきます。次にザッツ・オーライト・ママというデビュー曲を聞いてももらうんですけども、もうオリジナルの頃の、あのおとなしい感じとは全く違って、シャウター・エルビスになっています。


That’s All Right(live)/Elvis Presley
ということで、シャウター・エルビスも、もうこの辺で誕生していたわけです。あのー、この女性の歓声ですね。キャーキャーの。これが徐々にエルビスをシャウターに変えて行ったんですね。だからロックンローラーから、更にシャウターにしていったっていうのは、まあ、あの女の子の歓声なんだと思います。えー、ですから、ハート・ブレイク・ホテルが出て来る1年位前に、このようなスタイルはすでに出来上がっていたということです。で、このルイジアナ・ヘイライドで重要だったのは、エルビスは、まあ、ここで、後のマネージャーとなるパーカー大佐と出会うんですね。

で、このパーカー大佐は既に、エディー・アーノルドを大スターにして、この頃はハンク・スノウのマネージャーをやっていました。
それからもう一人、ディー・ジェイ・フォンタナというドラマーと出会います。

ディー・ジェイ・フォンタナは、このルイジアナ・ヘイ・ライドの専属ドラマーだったんですね。で、この後にエルビスのバンドに入るということになります。えーさらに直接演奏とか関係はなかったんですけど、このルイジアナ・ヘイ・ライドに若いころの18歳くらいですかね、ジェームス・バートンもこのルイジアナ・ヘイ・ライドのセッション・メンバーとしていたということです。

で、後にエルビスに60年代後半から、セッション・メンバーとしてかかわることになるんですけども、このあたりに既に縁ができていたということでございました。
既に、このように大人気ですから、4枚目のシングル、ベイビー・レッツ・プレイハウスは初のチャートですね、チャートされました。5位にチャートされたんですね。もうそろそろブレイク直前という感じでございます。えー、次に5枚目のシングル、結果的にサン・レコードで最後のシングルとなったんですけど、その録音にかかります。
アイ・フォーゴット・トゥ・リメンバー・トゥ・フォーゲット、えー初日のカントリー・チャートでかかりました。
I Forgot To Remember To Forget / Elvis Presley
アイ・フォーゴット・トゥ・リメンバー・トゥ・フォーゲット、この5枚目のシングルですけども、これがナンバー・ワン、カントリー・チャートでナンバー・ワンに輝いたわけですね。で、実際はA面だったんですが、ミステリー・トレイン、これも11位にまで上がるという、初の両面ヒットと相成ったわけです。さて、ミステリー・トレイン、このアイ・フォーゴットと同じ日に、録音されましたもう1曲の曲もあるんですけども、トライン・トゥ・ゲットゥ・ユーという曲、でもこれは未発表に終わりました。これのオリジナルを聞いてみたいと思います。イーグルスというグループです。で、これはほとんどヒットしてなかったんですけども、エルビスはメンフィスのレコード店で気に入って購入したということで、それを聞いて、カバーしようということなんだそうですね。ではイーグルスのトライン・トゥ・ゲットゥ・ユウ.

Tryin’ To Get To You / The Eagles
確かにエルビスが好きそうな曲ですよね。トライン・トゥ・ゲットゥ・ユー。ただしね、エルビスはね、自分に合った曲を選んでくる才能がものすごいですね、この人はね。それではエルビスのバージョン、トライン・トゥ・ゲットゥ・ユー。
Elvis Presley – Tryin to Get to You
えー、サン・レコードの中では、本格的にドラムが入った曲ですね。トライン・トゥ・ゲットゥ・ユーでした。でもこれは未発表に終わりました。さてこの曲はいろんな不思議な縁のある歌で、作家の、このローズマリー・マッコイという人は後に、アイ・ベッガブユーというアイ・ベッグ・オブ・ユーという曲を書くんですね。

![I Beg of You [As Recorded by Elvis Presley]: Rose Marie McCoy ...](https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51z4kZOPX3L._SX362_BO1,204,203,200_.jpg)
まー、だから、これが縁だったそうです。えー、それともう一つ、えー、この曲の3か月後ぐらいにですね、まあ、エルビスがお蔵になったということは知らなかったと思うんですが、自分たちの、デビュー曲のB面にしたというグループがあるんですね。で、それがティーン・キングスというグループです。リード・ボーカルはロイ・オービソン。



Tryin’ To Get To You/The Teen Kings with Roy Orbison
ロイ・オービソンでトライン・トゥ・ゲットゥ・ユーでした。ロイ・オービソンはこれを録音した後に、このサン・レコードの所属ということになるんです。で、エルビスとは入れ違いとなるんですけどね。えー、ちょうどこの頃、ジョニー・キャッシュのファースト・シングルが出るんですね。クライ・クライ・クライ。そして14位にデビューからチャートされました。


Cry Cry Cry / Johnny Cash
そしてカール・パーキンスがこの曲を録音します。
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Blue Suede Shoes / Carl Perkins
そしてエルビスのマネージャーがパーカー大佐になりまして、サム・フィリップスから全原盤を35,000ドルで買い取るという契約をしまして、で、アトランティックとRCAに、契約、話を持ち掛けるんですね。
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で、アトランティックのアーメッド・アーティガンは、「こんな若い人に35,000ドルなんかとても出せない」ということで、アトランティックは蹴るんです。

そこで、まー、RCA、RCAと言いますとパーカー大佐がマネージをしていたエディー・アーノルドやハンク・スノウのところですから、ま、やりやすかったんだと思いますね。


でRCAには当時ヘッドがスティーブ・ショールズ、そして出版社はヒル・アンド・レンジという大きな出版社で、そこのトップは、フレディー・ビエンストックという人です。えー、この人たちが一所懸命にエルビスのデビュー・ソングをこれから探すという、ちょうどこの頃のことでございました。


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Heartbreak Hotel / Elvis Presley
第1回目の番組のこの曲で締めてから、結局この話になるのに、こんなに時間がかかってしまいました。えーさて、この楽曲を用意したのは、マネージャーのトム・パーカーでもなく、RCAのヘッドのスティーブ・ショールズでもなく、大出版社のヒル・アンド・レンジのフレディー・ビエンストックでもなかったんです。で、ナッシュビルにメイ・アクストンMae Boren Axtonというゴッド・マザー的な人がおりまして、息子がホイット・アクストンです。

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ホイット・アクストンと言いますと、カントリー・シンガー、ジョーイ・トゥ・ザ・ワールドの曲を作った人ですけれども、このメイ・アクストン、ま、そのおっかさんですね。

そのメイ・アクストンがハンク・スノウの仕事をしていたということで、パーカー大佐、エルビスのマネージャーですね、パーカー大佐と知り合いであったと、で、パーカー大佐がオリジナル曲を探しているということを、知っていたと言いますかね、エルビス用に何か曲を書いてみようということを考えていたということです。で、共作者にトミー・ダーデンというカントリー・シンガーがいたんですけども、この人が新聞を見て、とある事件を見て曲のヒントを得たそうです。
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で、失恋した若者がホテルで自らの命を絶ったというニュースだったんですね。それをこのトミー・ダーデンが取り上げて曲にしようというようなことで、失恋した若者が集まるホテルというようなアイデアで曲を、詩を書いてみたということですね。それで、メイ・アクストンと二人で作ったと、これで、エルビスに唄わせたらどうだろうかということになったんですけども、トミー・ダーデンGlenn Reevesがエルビスの物まねがうまくなかった。で、地元のDJで、グレン・リーブスという人がいて、この人がとにかくエルビスの物まねがうまかったんだそうですね。で、この人を呼んできて、この曲を「ちょっとエルビス風に歌ってみてよ」ということでデモテープを作ったそうです。

えー、グレン・リーブスのハートブレーク・ホテル、デモ・テープですね。えー、とにかくこの人はDJですから、エルビスのレコードはたくさん聞いていたわけで、自分は物まねに自信があったそうですけども、最初の方は調子が出なかったんだけど、段々段々エルビス風に、ま、乗り移ってきたと言いますか。ですから、このデモを聞いて、エルビスがまねしてんじゃないか。それは、この人がエルビスのマネをしているわけですから、話は逆だと思うんですけども。
まーその、この曲を、その、メイ・アクストンがエルビスに売り込んだんですね。エルビスは気に入って、良しこれにしよう、ということになったんだそうです。ところが、周りのスタッフは、RCAのメジャーの最初のデビュー曲なのに、こんなくらい曲でいいのかという声は、当然あったんだそうです。ありますよね。僕がプロデューサーでも、これは選ばないと思いますね。しかし、このハートブレーク・ホテルはデビュー曲にはなっているわけですから、ということは選曲の最終決定権ていうのはエルビス本人が持っていたということの、証明でもあるわけですよね。で、この人はこれまでも、カバー・バージョンにしろ何にしろ、何を自分に歌うか、自分に合ってるかっていうのは全部、自分で決めてきたわけですね。
でー、この選曲するときに、どういうことをどんな感じで、あのー、曲を選ぶかというと恐らく、これを歌ったら、自分の方がもっとうまく、あの、歌えるんだ。自分の味になるんだというのを感じた曲を選んでるんだと思うんですよ。この人は、すごい、直感がするどい人で、100年の熟考に値する3秒の直感、というちょっとフレーズ考えたんですけど。えー、ということで、ハートブレーク・ホテルを選んだんです。ここまでは良いとしましょう。
ということで、スタジオの選びということになったんですけど、もう、ま、RCAになったので、パーカー大佐も使い慣れてるということで、ナッシュビルのRCAスタジオを、あの、使うことになりました。ところが、ナッシュビルのエンジニアは、サム・フィリップスのフィード・バック・エコーをかけていたということのノウハウを知らなかったんだそうです。ですから、ものすごく苦労したんですね。エコーに。それで、ものすごくエコーに苦労している最初の頃の、最初のハートブレーク・ホテルのテイクを聞いてみましょう。
Heartbreak Hotel (demo) /Elvis Presley
これはフィード・バック・エコーじゃなくて、ただの深いエコーになってるんですね。ですから、エコー成分が多くて、実音が少なくて、レコードになったものは、もっと歌詞が良く分からないんですよね。これは大ヒットしたから良いようなものの、ちょっと録音としてはね、実は失敗してるんですよ。それから、間奏の名手のフロイド・クレーマーが、もう、とちりっぱなしで、すごい、だから、どういう風にこの曲を弾いたらいいかというのは、ナッシュビルのミュージシャンも良く分かんなかったんですね。


で、サイドマンにはチェットアトキンスもいるんですけど、エルビスがナッシュビルにやって来たということは、一つの革命のようなものだったという風に言ってる人もいますね。

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ということで、実は、一番最初に歌われたのはハートブレイク・ホテルではなくて、一番最初に歌われたのは調子の良いもので、レイ・チャールズのアイ・ガッタ・ウーマンが選ばれました。

で、アイ・ガッタ・ウーマンが選ばれることはアトランティックの曲ですからねー、エルビス本人はアトランティックに行きたかったんじゃないんだろうかという風に、ちょっと、想像してみたりもしましたけどもね。
アイ・ガッタ・ウーマン I Got A Woman / Elvis Presley
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ナッシュビル・スタジオもサン・レコードのサウンドを作り出そうとして苦労していましたけども、ドラムがやっぱりいいですよね。ディー・ジェイ・フォンタナのドラムが入って来まして、サン・レコードのものはやっぱりドラムが無いので、寂しいなって感じはどうしてもありますよね。

RCAになってから良いのは、このドラムが入ったということだったと思います。さて続きましてもカバーで選ばれた曲は、またまたアトランティックのグループ、ドリフターズの曲でマネー・ハネー。

Money Honey / The Drifters

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ああやって下げるところは、やっぱり、クライド・マクファターのボーカル・スタイルをエルビスはずいぶん採っていますよね。では、エルビスのバージョンでマネー・ハネー。
Money Honey / Elvis Presley
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えー、メジャーの会社に移っても、エルビスの姿勢は全く変わらなくて、好きな曲をジャンジャン、カバーするという、こういうスタイルで、RCA行っても続けたわけでございます。さて、カバーばかりというわけにも行きませんので、オリジナルを作るということになります。そこで、出て来るんですけど、アメリカでは出版社というものが、曲に関してはすごい力を持っているんですね。えー、RCAレコードのヘッドであるところのスティーブ・ショールズは、あの大出版社のヒル・アンド・レンジと、まあ、仲が良かったんですね。ヒル・アンド・レンジは、フレディー・ビンストックという大立者がいたわけですけども、彼がいろんな作曲家を探してきて、ドン・ロバートソンという人に曲を依頼していたそうです。で、エルビス用に書いていた曲がアイム・カウンティング・オン・ユー。

I’m Coming On You / Elvis Presley
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ピアノのドゥ・ドゥ・ドゥ・ドゥーっていう、エニシング・ザッツ・パート・オブ・ユーっていう曲が後に、ありますよね。
これも・ドン・ロバートソンが作った歌ですね。で、ドン・ロバートソンの曲は、たくさんいい曲がありまして、心の届かぬラブレターのB面とか、リターン・トゥ・センダーのB面、ワン・ブロークン・ハート・フォー・セール、「破れたハートを売り物に」のB面もドン・ロバートソンの名曲でしたね。

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でー、この人はエルビスに書く前に大ヒット曲がたくさんあったんですけど、えー、3曲ばかり聞いてみましょう。
エディ・アーノルドのアイ・リアリー・ドント・ウォントゥ・ノウ、何て言うんでしたっけ。あーなたのー、ことなど―知りたくないの。それからハンク・スノウのアイ・ドント・ハート・エニモー、それからレス・ポールとMary・フォードのハミング・バード、この3曲を聞いてみましょう。

I Really Don’t Want To Know / Eddy Arnold

![Eddy Arnold – I Really Don't Want To Know / I'll Never Get Over You – Vinyl (10", 78 RPM, Promo), 1953 [r5233066] | Discogs](https://i.discogs.com/a0ZUxrn48sjtaF4NHAo-yH5DFPaYxDaTnto3mwW8xvk/rs:fit/g:sm/q:90/h:416/w:400/czM6Ly9kaXNjb2dz/LWRhdGFiYXNlLWlt/YWdlcy9SLTUyMzMw/NjYtMTM4ODI3NTg5/Ny0zNzg5LmpwZWc.jpeg)
I Don’t Hurt Anymore/ Hank Snow


Hummingbird/Les Paul & Mary Ford

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やっぱりレス・ポールはフィード・バック・エコーの発明者というか、駆使してますからうまいですよね。えー、この3曲聞いていただきました。話は53年、前年に戻りますが、エディー・アーノルド、先ほどの「知りたくないの」を歌っていた、エディ・アーノルドがエディ・アーノルド・タイムというテレビ番組を持っていたそうですね。そこで、コーラス・グループがこの曲を歌ったんだそうです。
Peace ln The Valley/ Elvis Presley

このバージョンは後にエルビスと歌ったバージョンなんですけれども、そのコーラス・グループの楽屋に、エルビス本人がやって来たんだそうですね。で、そのコーラス・グループに「将来、僕はメジャーと契約した時に、君たちがバックについてくれないか」ということを依頼したんだそうです。まだ、サン・レコードの時代でした。でー、そのコーラス・グループの人たちは、何かキツネにつままれたような、奇妙な感じで、それ以降、その人が全く現れなくなったので、あれ、いったいどうしたんだろうなと思っていたら、56年の1月にお声がかかったということで、先ほどの、アイム・カウントンニューにも、ちょっと入っていたんですけども、このコーラス・グループとついに、エルビスは一緒に歌うことができたのでございます。コーラス・グループの名前は、ジョーダネアーズで、曲は「ただ一人の男」。


アイ・ワズ・ザ・ワン。
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I Was The One/ Elvis Presley
エルビスは、コーラス・グループのリード・シンガーになりたかったという話を以前しましたけど、ようやく、ここで本懐を遂げたという感じですね。ジョーダネアーズをバックにしたアイ・ワズ・ザ・ワン。だから、この人は、こういう風にしたいと思ったことは必ず実現するんですよね。で、53年にサン・レコードを訪れてからの何年間は、おそらくこの人は自分の将来が見えていたんじゃないかという感じを私は受けました。さて、この曲はたくさんの作者が書かれているんですけども、一人はドン・ロバートソンの共作者なんですが、もう一人はアーロン・シュローダーと言いまして、この人も後にエルビス・スタッフになる人です。で、最初の頃、ローズマリー・クルーニーのデビュー曲を書いていたということ、40年代の末ですからずいぶん古い時から活躍していた人なんですね。
ではこのクルーニー・シスターズのアッタ・サイドウォーク・ペニー・アーケイドをちょっと聞いてみましょう。
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At A Sidewalk Penny Arcade / Clooney Sisters


えー、これが最初のレコード、B面だったようですけどね、ずいぶん古くから書いていた人なんですね。アーロン・シュローダーは後に、エルビスのワン・ナイトのB面で、アイ・ガットゥ・スタングですね。
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アイ・ガットゥ・スタング、まあ、好きですね僕は。それから、グッド・ラック・チャーム。
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エディ・ホッジスのアイム・ゴーナ・ノッコンニャ・ドー、恋の売り込み、これもアーロン・シュローダーが作った曲でした。
![Amazon | I'm Gonna Knock on Your Door [12 inch Analog] | Eddie ...](https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51o3Ku-fCQL._AC_SX355_.jpg)
さてもう一人、この共作者の名前、ありますところのクロード・デメトリアスというR&Bの作家なんですけれども、えー、この人はルイ・ジョーダンという人のエイント・ザッツ・ジャスト・ライカ・ウーマンを作っています。

えー、ロックンロールの元祖の一人でもあります。それでは、クロード・デメトリアスが作りましたところのエイント・ザッツ・ジャスト・ライカ・ウーマン。イントロはチャック・ベリーのジョニー・ビー・グッドに影響を与えたものと思われます。
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Ain’t That Just Like A Woman / Louis Jordan
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クロード・デメトリアスは、後にミーン・ウーマン・ブルースですね。
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アイ・ガッタ・ウーマン・ミーナズ・シー・キャン・ビーですね。えー・それから、ハード・ヘッデッド・ウーマンですね。冷たい女。

ウェラ・ハード・ヘデド・ウーマン・ア・ソフト・ハーテッド・マン・ビーン・ザ・カズ・オブ・トラブル・エバー・シンス・ザ・ワールド・ビギャン・オー・イェーイというやつですね。それから、デキシ―・ランド・ロック、デキシ―・ランド・ロック、デキシ―・ランド・ロック。
こういうようなR&B色の強い曲を書きましたけれども、既に、このアイ・ワーズ・ザ・ワンで、作家としてエルビスには登場していたということでございました。
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えー、発売日に合わせて、いよいよテレビに初登場ということになります。人気のドーシー・ショウ。えー、ジミー・ドーシー、トミー・ドーシーのドーシー・ショーですね。そこで歌われましたハートブレイク・ホテル、聞いてみましょう。
Heartbreak Hotel (live) / Elvis Presley

えー、さすがにテレビの初登場ということで緊張したんでしょうね。2番の入るところ、ちょっと遅かったりとか、まあ、バックのドーシー楽団も大変だったっていう感じも有りますね。で、まあ、こういうことで、メジャー・デビューを果たしたわけです。
やっと、テレビショー初出演までこぎつけましたエルビス・プレスリー。さて、この後、どうなるのでしょうか。また、明晩をお楽しみに。