アランフリード④
1955年、アメリカの白人ティーンエイジャーは、自分たちの音楽と呼べるジャンルを探していた。フリードはリフレーミングによって、リズム&ブルースを、ある概念的フレーム(現実)から取り出し、このリズム&ブルース(黒人音楽)をまったく異なる新しい(現実の)概念的フレーム(R&Rミュージック)に置いた。
ロックンロールというこの新しい現実は、アメリカの白人ティーンエイジャーとその両親との世代間ギャップと権力闘争心理を煽り続けることになる(第13章参照)。ロックンロール誕生の背後にあったこの心理は、1963年に終焉を迎える。
後になって、フリードは自分のラジオ番組やプロデュースしたショーで演奏する音楽をロックンロール・ミュージックと呼ぶようになる。これがアメリカにおけるロックンロールの誕生の真実であり、1951年にロックンロールという言葉を造ったとフリードが長年言い続けてきたことは真実ではない。
2回の公演で12,000人が来場したという報告もある。さらに、フリードは2日間のショーで24,000ドル以上を稼いだ。
1955年としては悪くない金額だ。この歴史に残るショーに出演したロックンロール・アーティストは、ジョー・ターナーJoe Turner、ファッツ・ドミノFats Domino、ルース・ブラウンRuth Brown、ムーングローズThe Moonglows、クローバーズThe Clovers、ハープトーンズThe Harptones、そしてクライド・マクファターとドリフターズClyde McPhatter and The Driftersだった。
(当時、クライドは陸軍に所属していたが、フリードのショーのためだけに戻ってくることができた)。
もうひとつの神話は、最初のロックンロール・レコードの歴史に関するものだ。何年もの間、ロックンロールの歴史について書いている多くの人々が、ロックンロールの最初のレコードとして特定のレコードを挙げてきた(「シュ・ブームSh Boom」、「ロケット88 Rocket 88」、「ジーGee」などなど)。
もちろん、多くの票を集めたビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」もある。
実際には唯一のリズム&ブルース、1954年9月にドゥートーン・レコードDootone Recordsからリリースされ、1955年1月15日にリズム&ブルースのチャートで1位を獲得したペンギンズThe Penguinsの「アース・エンジェルEarth Angel」がある。
ペンギンズはこの曲を1955年1月初旬にマーキュリー・レコードMercury Recordsで再レコーディングした。
「アース・エンジェル」は、フリードがリズム・アンド・ブルースをロックンロールに変えたまさにその時期に、大きな影響力(ビルボード誌Billboardのリズム&ブルースで1位)を持った最初のリズム&ブルースのレコードである。「アース・エンジェル」は、最初のロックンロール・レコードとなる権利を得たのだ。
この曲はジェシー・ベルビンJessie Belvin、ゲイネル・ホッジGaynel Hodge、カーティス・ウィリアムスCurtis Williamsが書いた。
しかし、「アース・エンジェル」は、ジェシー・ベルビンが書いた「ドリーム・ガールDream Girl」という曲に大きな影響を受け、ベルビンが「アース・エンジェル」というタイトルを思いついたと言われている。
1955年初め、白人ティーンエイジャーの間で最も売れたレコードは、ペンギンズの 「アース・エンジェル」、ラバーン・ベイカーLaVern Bakerの「トゥイードリー・ディーTweedlee Dee」、ファイブ・キーズThe Five Keysの「リング・ティング・トングLing Ting Tong」、そしてオーティス・ウィリアムスとチャームスOtis Williams and The Charmsのこれまた「リング・ティング・トング」だった。