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最初の統合ドゥーワップ・グループ(おそらく50年代に最も成功し、よく知られたグループ)は、1955年のデル・バイキングスThe Del Vikingsだった。黒人男性4人と白人男性1人がオリジナルのデル・バイキングスを結成した。
「カム・ゴー・ウィズ・ミーCome Go With Me」と「ウィスパリング・ベルズWhispering Bells」を歌ったオリジナルのデル・バイキングスは、ペンシルベニア州ピッツバーグのアメリカ空軍に所属していた時に出会った。
彼らは空軍版のリズム&ブルース・コンテストに出場した。優勝し、後にバミューダで行われた別のボーカル・ハーモニー・コンテストに出場して2位になった。地元のディージェイがコンテストのことを知り、ルニバース・レコードLuniverse Recordsとの契約を持ちかけた。デル・バイキングスがレコーディングをする前に、空軍はメンバー2人(黒人)をドイツに送り出してしまった。グループはすぐに代役としてノーマン・ライトNorman Wright(リード・シンガー)とデビッド・ラーチーDavid Lercheyを見つけた。
このグループは、オリジナル・バージョンの「カム・ゴー・ウィズ・ミーCome Go With Me」を含むアカペラのデモ・テープをすべてルニバース・レコードに売却した。ルニバース・レコードは、より多くのミュージシャンを起用して楽曲をダビングし、1957年にアルバムをリリースしたが、アルバムがリリースされる前に、非常に積極的なレコード・プロデューサーがグループをフィー・ビー・レコードFee Bee Recordsと契約させた。
デル・バイキングスはレコーディング・スタジオに戻り、フィー・ビー・レコードのミュージシャンと一緒に、(ルニバースへのアカペラ・デモの)何曲かをレコーディングした。フィー・ビーからリリースされた最初の曲は、シングルの「カム・ゴー・ウィズ・ミーCome Go With Me」だった。この曲は1956年にリリースされ、その後1957年にドット・レコードDot Recordsからリリースされた。2回目のレコーディング・セッションの前に、空軍は別のデル・バイキングス・メンバー(黒人)をドイツに送った。その後任がたまたま白人だったため、デル・バイキングスは黒人男性3人、白人男性2人となった。2回目のセッションでデル・バイキングスは「ウィルパリング・ベルズWhispering Bells」をレコーディングし、1957年に大ヒット曲となった。このレコードはフィー・ビー・レコードとドット・レコードからリリースされ、その後デル・バイキングスは2グループに分裂した。
「ウィルパリング・ベルズ」リリース後、空軍のマネージャーはグループをマーキュリー・レコードMercury Recordsに売却した。複雑な法的事情により、メンバーの一人はマーキュリーと契約できず、フィー・ビー・レコードで独自のデル・バイキングスを結成した。フィー・ビー/ドット・グループは1957年に「アイム・スピニングI’m Spinning」をヒットさせることになる。
マーキュリー・グループは1957年に「クール・シェイクCool Shake」をヒットさせる。マーキュリー・レコードはすぐに、フィー・ビー・レコードからデル・バイキングスのオリジナル・ヒット「アイム・スピニング」を再レコーディングしてリリースする。
この不運な過ちは、30年に及ぶ混乱、内紛、和解へとつながっていく。マーキュリー・レコードは50年代を通して不公正な商習慣を続けた。人種混合されたドゥーワップ・グループは他にもあり、「シックスティーン・キャンドルスSixteen Candles」のクレストthe Crestsはリード・シンガー、ジョニー・マエストロJohnny Maestro(白人)を擁し、「テル・ミー・ホワイTell Me Why」、「ダンス・ガール・ダンスDance, Girl, Dance」、「ピザ・パイPizza Pie」のロブ・ロイズThe Rob Roysは黒人2人、白人2人だったし、「ブルー・ムーンBlue Moon」のマーセルズThe Marcelsもいた。