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1948年のドゥーワップ誕生を皮切りに、ドゥーワップ・ミュージックはゆっくりと進化していった。1952年から1954年はパレオ・ドゥー・ワップ期だった。これはドゥーワップのごく初期で、性的な意味合いの強い歌詞(クローバーズThe Clovers「ワン・ミント・ジュレップOne Mint Julep」)が特徴だ。
次にクラシカル・ドゥーワップ期(1955-1959)。この時期のドゥーワップは、黒人文化に焦点を当てた大人のプロフェッショナル・ドゥーワップ・グループから、白人のティーンエイジャーの無邪気な愛やティーンエイジャーの行動に焦点を当てた、ずっと若いドゥーワップ・グループへと移行していった(デル・バイキングスThe Del Vikingsの「カム・ゴー・ウィズ・ミーCome Go With Me」)。
学生のドゥーワップ・グループは、中学や高校で生まれたグループだった(「アイム・ソー・ヤングI’m So Young」のステューデンツThe Students)。
遊び仲間のドゥーワップ・グループは、10代の若い学生で、ドゥーワップ・ミュージックを歌って女の子にモテるために学校の仲間が楽しんでいた(「ズーム・ズーム・ズームZoom Zoom Zoom」のコレジアンズThe Collegians)。
ドゥーワップの女性グループは、とても若い12、13歳の女の子たちだった(「メイビーMaybe」のシャンテルズThe Chantels)。
イットドゥーワップ・グループThe Itdoo wop groupsは、基本的にエスニックなイタリア系の子供たちで、独特のしっかりしたハーモニー・サウンドを持っていた(「ゼアリズ・ア・ムーン・アウト・トゥナイトThere’s A Moon Out Tonight」のカプリスThe Capris)。
ポップ・ドゥーワップ・グループは、「ハーバーライツHarbor Lights」のプラターズThe Platters、「今宵の君はThe Way You Look Tonight」のジャガーズThe Jaguars、「ティル・ゼンTill Then」のクラシックスThe Classicsなど、当時の名曲スタンダードを中心に演奏させることで、大人の白人レコード市場に参入しようとしたレコード会社の影響を受けていた。