4-21
ネオ・ドゥーワップ・グループは、「ブルー・ムーンBlue Moon」のマーセルズThe Marcelsのようにドゥーワップ・リバイバル期(1960年~1963年)に登場したグループで、過去のドゥーワップ・グループ(フラミンゴズThe Flamingos)とはまったく異なるサウンドを持っていた。
ティン・パン・アレイ・ドゥーワップ・グループは、ティン・パン・アレイ・ソングライターズであるトーケンズThe Tokensの「アイ・ラブ・マイ・ベイビーI Love My Baby」(ニール・セダカNeil Sedakaが作曲)などの曲をレコーディングしたグループだった。
女性ドゥーワップ・グループは、基本的にすべて女性のドゥーワップ・グループで、シュレルズThe Shirellesの「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥモローWill You Still Love Me Tomorrow」(キャロル・キングCarole King作曲)などがある。
最後は、コースターズthe Coastersの「ラン・レッド・ランRun Red Run」のようなノベルティ・ドゥーワップ・グループ(笑いを誘う曲)である。
ロックンロールの誕生期には、多くのドゥーワップ・グループがレコード会社を転々とした。時には、個人的な理由でドゥーワップ・グループの打ち切りを決めたのがレコード会社だった時もあった。また、ドゥーワップ・グループが個人的な理由で他のレコード会社と契約することを決めたこともあった。また、別の理由でレコード会社に不満を持っていたドゥーワップ・グループもいた。リトル・アンソニー&インペリアルスLittle Anthony and the Imperialsが生まれる前、アンソニー・グーダインAnthony Gourdineはデュポンツthe Dupontsとしてウィンリー・レコードWinley Recordsやロイヤル・ルースト・レコードRoyal Roost Recordsでレコーディングを行った。
数年後、彼はチェスターズThe Chestersとしてアポロ・レコードApollo Recordsで録音した。