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1958年、キャピトル・レコードはロックンロール・ビジネスに参入するプレッシャーを感じ始めたが、彼らの心はこの新しい音楽に気乗りしなかった。
トニー・パッサラクアTony Passalaquaによると、キャピトルはドゥーワップ・グループと簡単に契約を結ぶが、彼らのレコードをプロモートする(お金をかける)努力はまったくしなかったという。
キャピトル・レコードは、インディペンデント・レーベルとは違って、ロックンロールのレコードを全米のディージェイに宣伝しに行くことを拒否した。(トニー・パッサラクアへのインタビュー)これは、メジャー・レコード・レーベルがこの新しいジャンルの音楽に対応する用意ができていなかったもうひとつの例だろう。(レコード業界参照)
多くのドゥーワップ・グループが2つの異なる名前でレコーディングを行った。例えば、モダン・レコードModern Recordsは、ドゥーワップ・グループ、カデッツThe Cadetsに斬新でアップテンポなドゥーワップ・グループとして「ストランデッド・イン・ザ・ジャングルStranded In the Jungle」をレコーディングさせ、その後、ジャックスThe Jacks名義でバラード・ハーモニーのドゥーワップ・グループとして「ホワイ・ドント・ライト・ミーWhy Don’t You Write Me」をレコーディングさせることにした。
多くのドゥーワップ・グループが様々なドゥーワップ・グループ名でレコードをリリースした。ドゥーワップ・グループのムーングローズThe Moonglowsは、1958年にムーンライターズThe Moonlightersとしてタラ・レコードTara Recordsでレコーディングを行い、ヒット曲「ニュー・ガルNew Gal」をリリースした。
ジェシー・ベルビンJessie Belvinのような何人かのアーティストは、多くのドゥーワップ・グループ(ガサーズThe Gassers、ヤングスターズThe Youngsters、
ドッツThe Dots、タークスThe Turks、
シールズThe Shieldsの「ユー・チーティッドYou Cheated」、ザ・サクソンズThe Saxons、フォー・パームスThe Four Palms、
チャージャーズThe Chargers、センテニアルズThe Centennials、ハリウッド・フェイムズThe Hollywood Fames、
シークスThe Sheiks、カプリスThe Caprisの「ビウェアBeware」、クリークスThe Cliquesの「ドリーム・ガールDream Girl」と「マイ・デザイアMy Desire」)のリードを務めた。
また、「グッドナイト・マイ・ラブGoodnight My Love」やビルボード31位を記録したRCAレコードの「ゲス・フーGuess Who」で、ソロのリズム&ブルース・アーティストとなった。