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ロカビリー音楽の歴史
“僕は誰にも似ていない”
エルビス・プレスリー、1953年
ロックンロール・ミュージック以前は、ロカビリー・ミュージックと呼ばれた音楽が、南部で始まり、瞬く間にアメリカ全土に広まった。ロカビリー・ミュージックは、南部の若い白人ミュージシャンたちによる、カントリー、ブルーグラス、リズム&ブルース、南部のゴスペル、アフリカン・スピリチュアル・ミュージックをブレンドした、感情的で激しくリズミカルな音楽だった。
エルビス・プレスリー(1935-1977)、ミシシッピ州テューペロ
エルビス・プレスリーは13歳でテネシー州メンフィスに移住した。
一卵性双生児の兄は死産だった。プレスリー一家はとても貧しく、2部屋のとても狭い家に住んでいた。
1938年、父親が小切手の不正使用で投獄され、家を失った。1945年、エルビスは州の行事で「オールド・シェップOld Shep」(後にRCAでレコーディングする曲)を歌い、コンテストで5位に入賞した。
しばらくして誕生日にギターを買ってもらい、叔父たちや教会の牧師から演奏方法を教わった。1948年、一家はテネシー州メンフィスに引っ越した。
最初はワンルーム・アパートに住み、後にメンフィスの公営住宅に2ベッドルームのアパートを与えられた。プレスリーはヒュームズ高校Humes High Schoolに在籍し、1953年に卒業した。
1953年、18歳の若者がサン・レコードSun Recordsという小さなレコード・レーベルに入り、デスクの女性に母親の誕生日のために2曲録音したいと告げた。
その女性はマリオン・ケイスカーMarion Keiskerという元ディージェイで、現在はリズム&ブルース専門の独立系レコード・レーベル、サン・レコードSun Recordsのオーナー、サム・フィリップスSam Phillipsの下で働いていた。メンフィス・レコーディング・サービスMemphis Recording Services(後にサン・レコードと改名)は1952年、ジャッキー・ブレンストンと彼のデルタ・キャッツJackie Brenston and his Delta Cats(アイク・ターナー・バンドIke Turner Band)の「ロケット88 Rocket 88」で成功を収め、そのレコードはチェス・レコードChess Recordsに取り上げられた。
このティーンエイジャーのエルビスは2曲で4ドルを請求された。彼は「マイ・ハッピネスMy Happiness」と「ザッツ・フェン・ユア・ハートエイクス・ビギンThat’s When Your Heartaches Begin」のアセテート盤を持ってそのビルを出た(この曲は後にRCAで録音されることになるが、おそらく二度と聴かれることはないと思っていた)。建物を出る前に、ケイスカーは少年に誰の声に似ているのかと尋ねた。少年は「誰にも似ていない」と答えた。
ラジオのディージェイだったケイスカーは、少年の声に何かを感じ、マスターテープを保存した(普通はそんなことをしないことだが)。その少年がスタジオにいたことをサム・フィリップスに話すことはなかった。