レコード会社に契約してもらいたいアーティストは、必ずサムSam Phillipsのところに来るようになり、たとえ訴訟を起こされてもヒットさせていたので、侮れない人物だった。
メンフィスのラジオ局で働くジョー・キャロウェイJoe Callowayは、ナッシュビルのテネシー州刑務所に行って、刑務所でボーカル・グループを結成した5人組のニュースを制作したが、彼らは才能があるだけでなく、自作の「雨に歩けば(ジャスト・ウォーキン・イン・ザ・レイン)Just Walkin’ in the Rain」はヒットしそうだと思った。
フィリップスは同意して、グループがサン・レコード内で武装した護衛に囲まれる中、レコーディングする手配をした。彼らにプリズネアーズThe Prisonairesという名前を付け、透明な黄色のプラスチックに黒の線を引いたレコードをDJ用にプレスしてもらった。オリオールズThe Orioles風の軽快で素敵なバラードで、リード・テナーのジョニー・ブラッグJohnny Braggはソニー・ティルSonny Tilにとてもよく似ていた。
レコードはすぐに5万枚売れたが、ツアーができるわけもなく、ナッシュビル地域周辺で警官に護衛されて、たまの週末にライブ演奏した。
そんな拘束を受けないアーティストで、町の人気者の一人がこの1952年6月にナッシュビルに立ち寄り、サン・レコードSun recordsにおける一連の名曲のうち、最初のレコーディングをした。ハーマン・リトル・ジュニア・パーカーHerman “ Little Junior” Parkerは、ハウリン・ウルフHowlin’ Wolfがシカゴに移った時に残したバンド・メンバーの一人で、ボビー・ブランドBobby Bland、ジョニー・エースJohnny Ace、ロスコ・ゴードンRosco Gordonと共にビール・ストリーターズThe Beale Streetersの一人だった。
自分のバンド、ブルー・フレームスThe Blue Flamesを結成し、サムのところで「フィーリン・グッドFeelin’ Good」をレコーディングすると、R&Bのトップテンに入った。
8月に戻って来て「ミステリー・トレインMystery Train」をレコーディングしたが、地元でしか売れなかった。