最初のシングル「レモン・トゥリーLemon Trees」は、

他の商業フォーク・グループがレコーディングしたものより一段上をいくものであり、これもマイルド・ヒットだったが、2曲目の「天使のハンマーIf I Had Hammer」は、

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ピート・シーガーPete Seegerとウィル・ヘイズWill Haysが作った、
ウィーバーズThe Weaversのレパートリー「ザ・ハンマー・ソングThe Hammer Song」で、まさに彼らが目指していたものだった。

丸々一世代がこの曲を聞いていなかったが、PP&Mはトップテン入りさせた。フォーク好きの年配者にとっては賛同できるものだったし、幾分勇気ある発言だった時期としては、平和を支持し、一緒に歌い、みんなが一つになれる素敵な歌だった。そして10代の少女たちはすでに髪にアイロンをかけてまっすぐにしてバエズのような髪形にし、ティーンエイジャーの少女少年たちはアコースティック・ギターを抱えていたものの、フォーク音楽は概ねチャートには入らなかった。というのは、フォーク・ソングは基本的に個人参加やライブが主体だったからで、巡回ツアーが盛んになるにつれ、ライブ・ショーの頻度も多くなった。

黒人のポップス、特にティーンエイジャーを狙った曲は、1962年の春、興味深い面を持っていた。元々オールディーズに対する関心があり、その上、ラジオで流れるオールディーズにボーカル・グループの名曲が取り入れられたことで、このスタイルはまだ人気を保っていた。ビージェイ・レコードVee-Jay recordsは「デューク・オブ・アールDuke of Earl」を1月にリリースしたが、これは古めかしく聞こえるサウンドで、ジーン・チャンドラーGene Chandlerの名前がラベルには載っていたが、実は彼のグループであるデュケイズThe Dukaysが前年に録音したものだった。


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この曲はまっすぐ1位に上昇した。もっと現代的な音作りをしたのがファルコンズThe Falconsの「アイ・ファウンド・ア・ラブI Found a Love」で、デトロイトのルパンLu-pineレーベルから2週間後に発売された。


